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ちょっとびっくり [それでもどっこい生きてます]

今朝寝て起きてちょっとぼんやりしていたら、ふと、昨日の日記【2007年9月16日:気が狂いそう】と似たようなものを書いた記憶があるなぁ、と思ってしらべてみたら、ちょうどぴったり一年前の記事だった。

【2006年9月16日:スルー不可能性、または叫び声について 】

ちょうど一年前だったのもびっくりしたけど、とりあげた2つのブログがまったく同じだってことも知り、ちょっとびっくり。

うーん。

ちなみに、その当時は知らなかったけど、【いちヘルパーの小規模な日常】は、「フリーターにとって「自由」とは何か」」の筆者である杉田俊介さんのブログです。

「フリーターにとって「自由」とは何か」」を読み終わったのが、2006年2月12日だから、彼の存在は知っていたハズだけど、全然気づかなかった。

だからなんだといわれると困るけど、我ながらへー、と思うわけです。

参考リンク:
【2006年2月12日:「フリーターにとって「自由」とは何か」杉田俊介】


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ブルーハーツといえば [それでもどっこい生きてます]

やばい、眠れない。

まー、「気が狂いそう」なんてのでエントリーが終わっていると、誤解される以前に心配されてしまうので、何か書いておこうとか思うわけです。

ちなみに、「気が狂いそう」は、最後に引用したブルーハーツの「人にやさしく」の出だしの歌詞。

歌いやすくてインパクトが高いので、カラオケでは結構歌います。

でも、一般的にブルーハーツといえば、「リンダリンダ」と「TRAIN-TRAIN」なわけでして、他の曲はみなさん知らないことが多い。

「少年の詩」とか「僕はここに立っているよ」とか「ロクデナシ」とか「終わらない歌」とか好きなんで歌うことは歌うんですが、何かの合間にズザザーっと入れるわけです。
さらにいえば、「チェインギャング」なんて、他の人が全員寝てるときに入れるぐらいです。ちょっと悲しい。

まぁ、そんなこといったら、中島みゆきなんて、「地上の星」以外は、すべて入れにくいわけですが。

よく一緒に行くメンバーなら、そんなことは、お互いもう気にしないけど、たとえば新しいプロジェクトに配属になって、一発目の飲み会とかで、「何を歌うのか」は、なかなか悩ましい。

この会社に入って一発目のカラオケは、全員アニソンで、まぁゲーム業界らしいとも思うし、別にアニソンは嫌いじゃないんですが、それしか歌えない雰囲気があり、ちょっと嫌だったりしました。

アニソンで掴みたいときは、だいたい「ハクション大魔王」にするんですが、そろそろ年代的に厳しいなー。

アンパンマンだとやりすぎだしなぁ。

カラオケ悩み相談室、とかあったらちょっと面白いかも。

あああ、もうそろそろ5時ですよ!

睡眠薬代わりに分厚い本でも読んで寝るか。


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気が狂いそう [それでもどっこい生きてます]

朝帰りがたたって、昼夜逆転中。

だらだらとWebを見る。

【いちヘルパーの小規模な日常:lessorさんの「苦境」について】
【いちヘルパーの小規模な日常:或る苛立ち】

また心の変なボタンを押されてしまう。

昨日のblogには書きたかったけど書けなかったことがある。

でも、深夜なら書けることもある。

誤解されることが分かっていて、それを想像して自分がダメージを受けることが分かっていても(「想像力だけが自分を傷つける」by鴻上尚史)、深夜なら書けることがある。

自分は、ボランティアとかなんたら支援活動に、とても強く興味を持っている。
ちょっと脅迫的な感じもある。

なんでか?

わからない。

いい人になりたいだけ、ちゃうんか?、とも思う。
罪悪感にさいなまれているのか、とも思う。

自分はいまだにこの気持ちに名前を付けられません。

【2006年2月12日:「<野宿者襲撃>論」生田武志】で書いたことは、今も変わっていなくて、このちょっと悲壮でアブナい感じや、自分にとっての切実さ(支援される方の切実さではなく)がなんなのか、まったく分からない。

しかし、こういう催しに行くってことが、なんとなく恥ずかしかったり、人には言えない感じがあったりするのは、なんなんでしょうね?

【2006年8月21日:レバノン/イスラエル停戦を願うキャンドル・アクション(アムネスティ)】で書いたことも、まったく変わっていない。

ちょっと違った角度の話。

今は嫌いでみることもない日テレの24時間テレビだけど、小さいころあの番組は自分にとって特別な番組だった。

コカコーラの瓶に一年間貯めたお金を持って並ぶ人の列。
次の年に放送される、募金のお金の使い道。

小学生の時に剣道をやっていて、その地方大会がいつもこの24時間テレビの放送の日で夜更かしすることができず、ものすごく悔しい思いをしたことをとてもよく覚えている。

あそこには、多くの人の「何か人のためになることをしたい」という切実さがあったと思う。

でも、それだけじゃない。

あの当時、一般人がテレビに出れる、ということは大きかったと思う。
芸能人に会える。握手もできる。
大手をふって深夜に街に出ることができる。
手塚治虫のアニメも見れる。

北海道の端っこに住んでた私は、あの「お祭り」に参加したくてしょうがなかった。
それは、「地球横断ウルトラクイズ」に出たかった気持ちと、多分、あまり変わらない。

「何か人のためになることしたい」という表立って表すことができない気持ちを、気持ちよく吸い上げてくれる「装置としての24時間テレビ」は、今考えると、とてもステキなものだったと思う。

今、24時間テレビを見る気にもならないのは、そういう気持ちを「吸い上げさせられる」からかも知れないし、そう自分が思い込んでいるからかも知れない。

昔はよかったと言いたいわけじゃない。
昔だって今とそれほど変わるわけじゃない。

でも、なぜか私は無邪気に「そっち側」にいけない。
もう小銭の入ったボトルを抱えて並べない。

自分は甘えた平和ボケしたヤツではないと、すべて世の中は戦いなのだと、誰に向かって言いたいのかも分からずに叫びつつける。

それと同時に小さいころの自分から、それでいいのかと、常に問いかけられる。

わからない。
自分がどうしたらいいのか、どうしたいのか。

★ ★ ★

叫ばなければ やりきれない思いを ああ 大切に捨てないで (人にやさしく by THE BLUE HEARTS)


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