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「なぜ人を殺してはいけないのか?」永井均/小泉義之 [それでもどっこい生きてます]

「なぜ人を殺してはいけないのか」については、何度か書いたことがありますが、「戦争では人を殺してるじゃん」という点に気づかされたので、「社会がする人を殺して良いかどうかの判定は、そのときの都合による」という形で落ち着いています。

少なくとも自分は「オレは人を殺したいんだけど、なぜダメなんだ」と悩んでいる訳ではないし、友人から相談されている訳でもないので、その分、自分の身にひきつけて考えることができないし、その必要も今は感じないので、実はあまり興味がない話題になっています。

ただ、他の人がどう思っているのかは、やや知りたくもあり、小泉義之の本ということで買ったのでした。

んが、なんだか良く分からない読後感。

二人の哲学者の対談と、その対談を踏まえての二人のコメント、という形なんですが、二人の対談自体、話が飛びすぎてついていけませんでした。

永井均が書いた章で、小泉義之が何を言いたかったのか良く分からない、を連発しているので、実際にかみ合わない対談だったんでしょうね。

うーん。

次いってみよう!

なぜ人を殺してはいけないのか?

なぜ人を殺してはいけないのか?

  • 作者: 永井 均, 小泉 義之
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1998/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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戦争体験の温度差(「戦争で死ぬ、ということ」補足) [それでもどっこい生きてます]

「戦争で死ぬ、ということ」の中で、実際に本土が空襲されるまで戦争をしている実感がなかった、新聞などの情報を見てもどこか他人事だった、という話が出てきます。
とても率直な感想に思いますし、そりゃそうだとも思います。

そういう人たちにとっては「空襲」が戦争体験であり、それ以外の戦争体験はない。

【8月20日の日記】に、なぜ人を殺されたことは語られて、人を殺したことは語られないのかについて書きましたが、実はそんな小難しい話じゃなくて、単に戦争中でも日本にいた人、特に多くの女性は人なんて殺していないのですよね。
そんな当たり前のことに、まったく気が付きませんでした。

戦争中であっても身近に危険が迫らない限り、戦争の実感はわかない。

自分が戦争を止める為には自分で何か行動することが必要で、もし他人の扇動にのせられないとするならば、行動する為には自分の中に何か動機がなければ動けない。
自分の身に危険が迫るまで戦争の実感が期待できないのであれば、その実感のないもの、無視可能なものを、何らかの形で自分の身にひきつけて行動の動機とすることになる。

その方法とは、想像力なのか知性なのか、それとも全然別なものなのか。

分からない。分からない。分からない。


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