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「悪魔のささやき」加賀乙彦 [それでもどっこい生きてます]

凶悪な殺人事件が起こり犯人が捕まると、ニュースではその犯人がいかに異常な性格で残忍に人を殺したか、などが語られます。
「早く死刑になって死ね」みたいなことも、遠まわしに語られます。

殺人事件じゃなくても、ライブドアとか村上ファンドとか、なんでもいいんですけど、何か悪いことをしたと「世の中が認めた相手」に、みなで一斉に石をぶつけ、ののしる。

私はそういう雰囲気がとても嫌いで、【ニュースでの街角インタビューは無意味、さらにいえば有害 】というエントリーも以前書きました。

この本は、元拘置所の医務技官を勤めた精神科医で今は作家の人の本です。
凶悪殺人犯との面会や自殺に失敗した人との面会を通じて、人を殺したり自殺したりするきっかけが、ほんの些細なこと、「悪魔のささやき」としか思えないことで、起こったりしているのだと、筆者は書いています。
もちろん、綿密に計画された殺人や自殺もあるでしょう。
でも、ニュースで見聞きするそれらの人たちが自分たちと違う人であると考えるのは間違っている、ただ魔がさしただけで、同じ愚かで弱い人間なのだ、と筆者は言っています。

何か悪いことをしたと「世の中が認めた相手」に対して、みんなが一斉にやいのやいの言うのが嫌なのは、多分、そういうことをする人たちが、「コイツはオレと違う。オレは正しいがコイツは間違っている」という雰囲気を安心して惜しげもなく撒き散らしているからだと思います。

同じ愚かで弱い人間、だとは思っていない、自分は正しく強い人間だと思っている。

でも、その「正しさ」とか「強さ」は、今の世の中に認められただけの「正しさ」や「強さ」であって、寄らば大樹の陰、虎の威をかる狐、でしかないと思うのです。

確かに、自分が正しくて強いのは気持ちの良いことです。
なにより安心だし生きることに疑問なんてありません。
周りには常に仲間がいて必要ともされます。
とてもすばらしい人生。

でも、それを無自覚に受け入れてしまうことは、自分でなくなること、群れの価値観が絶対になることで、私はそれが嫌だし怖いのです。

その群れの価値観がひっくりかえる時、その群れの価値観しかなかったとしたら自分はどうするのでしょうか?
また新たにできた群れの価値観に、何も言わず従うしかなくなるのではないでしょうか?

そんなのは絶対に嫌です。

歩くのに疲れて何かに寄りかかってしまうことはあるにしても、歩けるところまで自分で歩く、歌いながら歩く、歩けなくなったときの心配はしない。
誰かが倒れていたら助ける、ただその人が自分で歩けるようになれば握手をして別れる。

そんなことを続けることで、なんとか「悪魔のささやき」を跳ね返していく。

とりあえず、そんなことからしか始まらないと思うのです。

悪魔のささやき

悪魔のささやき

  • 作者: 加賀 乙彦
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2006/08/12
  • メディア: 新書