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【書評:裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち (at叢書) 上間陽子】 [いま、ここ]

4月に買ったまま、読まずにいた本。

厳密には読めずに、かも知れないが、自分でもよくわからない。

先日、岸政彦さんの小説「ビニール傘」を買って読み、その流れで当然の様にこの本を読んだ。

自分の中では、この二冊は地続きになっていて「裸足で逃げる」への入り口としての「ビニール傘」だったんだろう。
「ビニール傘」を気になっても買えずにいたのは、読んでしまうと必然的に「裸足で逃げる」を読むことになるからだったのかもしれない。

そんな、自分でもややこしい迂回をしながら読んだこの本で、想像どおり圧倒され、想像を超えてしんどい思いをした。

なんども泣いてしまう。

さっきも読み返して泣いてしまった。

書評なんていつもきちんと書けないけど、今回はなおさら書けないと思った。

でも、読んだ、ということを伝える必要があるように感じて、今、キーボードを叩いている。

誰に届くかも分からず、届けたいかも分からず、声高にありきたりの言葉で叫びたいわけでもなく、黙っていたいわけでもない。

でも、焦ってはいけない。

他人がどうこうより前に、まずは自分が自分の感じを受け入れ、整え、支えようとつとめる。

自分がある。他人もある。それを混ぜない。悲しくても辛くても混ぜてはいけない。

今の自分はそれぐらいしかできない。

ビニール傘
岸 政彦
新潮社 ( 2017-01-31 )
ISBN: 9784103507215


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【書評:青空に飛ぶ 鴻上尚史】  [いま、ここ]

読み始めて、あまりに中学生の主人公へのいじめの描写がキツて、辛くて、最後まで読めそうにない、と思った。

ただ、もう一人の主人公である特攻隊の生き残りの人の話が始まり、なんとか読み進めているうちに、気がついたら最後まで読み切っていた。

キツイのは最後まで薄れなくて、いや、どんどん濃くすらなっていって、読み終わった今も、胃と心臓が痛くてたまらない。

でも、このキツさこそが、そのまま、この小説なんだと思う。

ほとんど救いはない。キツイ現実しかない。それでも生き延びた人は存在する。

最後の方にある「ぼくは弱い。そこから始めようと思った。」は、このキツイ現実を通った絶望の先にしかありえない言葉で、それは希望というより、認識であって、自分で考えることであって、それ以上の意味はないと思う。

でも、もしかしたら、これすら安易な希望に映るかもしれない、という、絶望も同時に感じてしまって、そうなら自分は何が言えるんだろう、この現実を生きる為に自分なら何ができるんだろうと、考えてしまった。

★ ★ ★

鴻上さんの本をよく読む人には、この小説は、いままで鴻上さんが作品を通して一貫して伝えてきたことが、別な形で繰り返し述べられていることに気づくと思います。

それを、やや「またか」と感じる自分がいて、もやもやしながら、この文章を書いているのですが、でも、もしかしたら、その繰り返しこそ、わかった気にさせない、消費することじゃない、お前は本当に考えているか?というメッセージなのかも知れないと、今思い至りました。

なんというか、そういうシャープじゃないところが、鴻上さんが好きな理由なのかも知れません。
青空に飛ぶ
鴻上 尚史
講談社 ( 2017-08-08 )
ISBN: 9784062207096



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ドラクエ11クリア [いま、ここ]

おわった〜
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【書評:沢村さん家の久しぶりの旅行 益田 ミリ】 [いま、ここ]

益田ミリの「すーちゃん」シリーズ。

映画化されたタイミングでいきなり終わってしまった感じがしていました。

今改めて調べてみたら、映画が2012年10月20日公開、「すーちゃん」シリーズの4巻目であり最終巻の「すーちゃんの恋」の発売が2012年11月9日なので、二週間ぐらいの内にバタバタとすーちゃんは表舞台から居なくなってしまったのです。
すーちゃんの恋
益田 ミリ
幻冬舎 ( 2012-11-09 )
ISBN: 9784344022737

映画は観ていません。

「すーちゃん」の魅力を時間の限りのある1本の映画に収められる気がしないし、評判もあまり聞こえてこなかったので、あえて観ませんでした。なので、実際のところどんな作品なのかは分かりません。

とつぜん自分の前から消えてしまった、すーちゃん。

そんなすーちゃんのお話のその後「かもしれない」エピソードが、新刊の「沢村さん家の久しぶりの旅行」に、本当にちょとだけ登場します。
沢村さん家の久しぶりの旅行
益田 ミリ
文藝春秋 ( 2017-06-28 )
ISBN: 9784163906768

はっきりとは語られないので、自分の推測でしかないのですが、それでもすーちゃんやその周りの人達を思い出して、懐かしい感じ、元気にしてるかなぁ、という感じを強く持ちました。

人は出会って、いつか必ず別れます。

それはしょうがないことです。

でも、ふとしたきっかけで、ちょっとだけ思いを馳せることもある。

とてもステキなプレゼントをもらった気分でした。益田ミリさん、ありがとう。

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教会に通ってみるという経験とクリスチャンというマイノリティ [いま、ここ]

4月から【上馬キリスト教会】という教会の日曜礼拝に通っています。

元々、三浦綾子や遠藤周作の作品が好きだったりして、キリスト教自体には興味があって、20代のころ、教会に行ってみようと、自宅近くの教会の周りをうろうろしたことはあったんです。

でも入れなかった。

何が行われているのか分からないし、自分が入っていいかも分からない。(誰でもどうぞとは書いてあったとは思います)

もともと集団や組織が苦手なこともあり、結局、教会に自分からいくことはありませんでした。

今回、どうやってその壁を超えたのか?

twitterなんです。

上馬キリスト教会はtwitterアカウント【上馬キリスト教会 @kamiumach】を持っていて、そのツイートがゆるくて面白かったので、ここなら行っても大丈夫かな?と思ったんですよね。

自宅から自転車で行ける距離だった、ということもあります。

行ってみて合わなかったら一回でやめようとも思っていました。

でも、結果として、一回、北海道に行った時に休んだだけで、それ以外は毎週通っています。

昔、鴻上尚史が「とりあえずまだ宗教には頼らずにやっていこうと思ってる」的なことをどっかで書いていたことがあって、それにはなんとなくの共感も感じ、自分も宗教に頼るか頼らないか、みたいな考え方をしていた面がありました。

宗教に頼る、っていう表現も手伝ったのか、教会に行くこと自体が自分を捨てることの様に感じていたんだと思います。努力の放棄というか、自己の否定というか、考える事をやめるというか、そういう感じです。

でも、行ってみたいと思ってるなら行ってみればいい、と思い直したんです。

誰の為でもなく、自分が行ってみたいと思ってるんだから、行けばいい。

あと、今なら行ける、受け止められる、変な場所だったら拒否できる、という自分に対する信頼感がありましたし、今行かないとしたら一生行くことはないだろうな、とも思いました。

結果、twitterのゆるさに支えられ行ってみた教会は、なんというか拍子抜けするほど楽な教会でした。

変な勧誘もなく、押し付けがましさもなく、堅苦しくもなく、身内だけで固まってる感じもない。

自分自身も、変に周りに同調するでもなく、拒否するでもなく、うまいぐあいに適切な距離を保つことができました。

これは私にはなかなかできないことなので、ほっとしました。

★ ★ ★

教会に通ってみて、色々感じてること、思っていることがあります。

自分の内面とかそういうところは別にして、一つだけ社会的な視点で強く思ったのは、日本においてクリスチャンはマイノリティだということです。

数字にすれば明らかなのに、今までそのことに意識がいくことがありませんでした。

なんというか不思議だし、おかしな感じがしましたが、それが日本の宗教的に自分がマジョリティの位置にいた、ということの証明の様に思っています。

無自覚にマジョリティの位置にいるときは、マイノリティのことは見えないし分からない。

そんなことを改めて思わされました。

今回、この記事を書く事自体にためらいというか、恐れみたいなものがあったんですが、こうやって書くまでは、宗教の話題はしづらいからだと思っていたんですが、それだけではなくてマイノリティであることがより強く働いている感じがします。

クリスチャンで有名な方はいますし(この前引退した将棋の加藤一二三さんとか)、カミングアウトができる人もいる。

でも、日本の多くのクリスチャン(私はまだクリスチャンではありませんが)は、宗教的なマイノリティであるがゆえに、積極的に自分がクリスチャンであることは言っていないし、言いにくいんじゃないかと思います。

宗教のことと考えると分からない感じがしても、マイノリティという視点でみれば見えてくるものもあるんだな、そんな風なことを思っています。

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