暖簾に腕押し、糠に釘、そして空気に叫び声 [ヨノナカを叫ぶ]
暴力シーンOKな方は、リンク先の動画をご覧ください。
【モジモジ君の日記。みたいな。:排外主義それ自体が暴力です】
本当は取り上げないことのほうが、「大人な対応」で「スマート」だと思います。
見なかったことにできれば、どんなに楽チンかと思います。
ただ、排除していっても多くの人が不幸になるばかり、という思いは強くて、
それについて語りたくもある。
・・・あー、でもやっぱり無理な感じもしています。
だって、こうやって取り上げても、空気に消えていってしまいますし、自分に「変な色」も
付いてしまうかも知れません。
むなしさもひとしおです。
でも、少なくとも、自分がそのことについてどう思っているのか語らなければ、他人には
知りようがないのも、また事実です。
ですから、こんな程度でも語りだすことから始めるしかないと思うわけです。弱いね。
その後の六ヶ所村ラプソディー [ヨノナカを叫ぶ]
★その1
mixiの「六ヶ所村ラプソディーを見よう☆」コミュニティに投稿されている、武藤北斗さんのブログから。
青森県庁への申し入れの模様です。
ご本人の記事は↓こちらから。
【NPO 「地球とともに」 & 武藤北斗日記:2007年11月22日 県庁に申し入れ ~普通のお願い~ 】
六ヶ所村の再処理施設は、2月に延期されていた模様です。今のところ。来月からですね。
★その2
動画検索でみっけた、「「六ヶ所村問題」編 未来バンク事業組合理事長 田中 優 氏 から緊急提言!ダイジェスト版」
★その3
【中央大学で六ヶ所村ラプソディーを見ました:六ヶ所村再処理工場の1年間】
中央大学で「六ヶ所村ラプソディー」を上映した学生さんのブログ。
2007年の再処理工場関連の動きがまとまっています。
★その4
監督の鎌仲ひとみさんがやっている、【6ラプ日記】には、新しい映像がアップされています。
★ ★ ★
「六ヶ所村ラプソディー」の自主上映はまだまだ続いています。
公式サイトの【上映スケジュール】を見れば、お近くでやっているかも知れません。
未見の方は、一度ぜひ。
★ ★ ★
六ヶ所村ラプソディー予告編:
【六ヶ所村ラプソディー:オフィシャル・ウェブサイト】
【六ヶ所村ラプソディー:オフィシャルブログ】
ハイロウ君の日記:
【2007年10月20日:六ヶ所村ラプソディー】
過去日記:
【2006年10月29日:「六ヶ所村ラプソディー」を見てきました】
ちょっとびっくり [ヨノナカを叫ぶ]
今朝寝て起きてちょっとぼんやりしていたら、ふと、昨日の日記【2007年9月16日:気が狂いそう】と似たようなものを書いた記憶があるなぁ、と思ってしらべてみたら、ちょうどぴったり一年前の記事だった。
【2006年9月16日:スルー不可能性、または叫び声について 】
ちょうど一年前だったのもびっくりしたけど、とりあげた2つのブログがまったく同じだってことも知り、ちょっとびっくり。
うーん。
ちなみに、その当時は知らなかったけど、【いちヘルパーの小規模な日常】は、「フリーターにとって「自由」とは何か」」の筆者である杉田俊介さんのブログです。
「フリーターにとって「自由」とは何か」」を読み終わったのが、2006年2月12日だから、彼の存在は知っていたハズだけど、全然気づかなかった。
だからなんだといわれると困るけど、我ながらへー、と思うわけです。
参考リンク:
【2006年2月12日:「フリーターにとって「自由」とは何か」杉田俊介】
気が狂いそう [ヨノナカを叫ぶ]
朝帰りがたたって、昼夜逆転中。
だらだらとWebを見る。
【いちヘルパーの小規模な日常:lessorさんの「苦境」について】
【いちヘルパーの小規模な日常:或る苛立ち】
また心の変なボタンを押されてしまう。
昨日のblogには書きたかったけど書けなかったことがある。
でも、深夜なら書けることもある。
誤解されることが分かっていて、それを想像して自分がダメージを受けることが分かっていても(「想像力だけが自分を傷つける」by鴻上尚史)、深夜なら書けることがある。
自分は、ボランティアとかなんたら支援活動に、とても強く興味を持っている。
ちょっと脅迫的な感じもある。
なんでか?
わからない。
いい人になりたいだけ、ちゃうんか?、とも思う。
罪悪感にさいなまれているのか、とも思う。
自分はいまだにこの気持ちに名前を付けられません。
【2006年2月12日:「<野宿者襲撃>論」生田武志】で書いたことは、今も変わっていなくて、このちょっと悲壮でアブナい感じや、自分にとっての切実さ(支援される方の切実さではなく)がなんなのか、まったく分からない。
しかし、こういう催しに行くってことが、なんとなく恥ずかしかったり、人には言えない感じがあったりするのは、なんなんでしょうね?
【2006年8月21日:レバノン/イスラエル停戦を願うキャンドル・アクション(アムネスティ)】で書いたことも、まったく変わっていない。
ちょっと違った角度の話。
今は嫌いでみることもない日テレの24時間テレビだけど、小さいころあの番組は自分にとって特別な番組だった。
コカコーラの瓶に一年間貯めたお金を持って並ぶ人の列。
次の年に放送される、募金のお金の使い道。
小学生の時に剣道をやっていて、その地方大会がいつもこの24時間テレビの放送の日で夜更かしすることができず、ものすごく悔しい思いをしたことをとてもよく覚えている。
あそこには、多くの人の「何か人のためになることをしたい」という切実さがあったと思う。
でも、それだけじゃない。
あの当時、一般人がテレビに出れる、ということは大きかったと思う。
芸能人に会える。握手もできる。
大手をふって深夜に街に出ることができる。
手塚治虫のアニメも見れる。
北海道の端っこに住んでた私は、あの「お祭り」に参加したくてしょうがなかった。
それは、「地球横断ウルトラクイズ」に出たかった気持ちと、多分、あまり変わらない。
「何か人のためになることしたい」という表立って表すことができない気持ちを、気持ちよく吸い上げてくれる「装置としての24時間テレビ」は、今考えると、とてもステキなものだったと思う。
今、24時間テレビを見る気にもならないのは、そういう気持ちを「吸い上げさせられる」からかも知れないし、そう自分が思い込んでいるからかも知れない。
昔はよかったと言いたいわけじゃない。
昔だって今とそれほど変わるわけじゃない。
でも、なぜか私は無邪気に「そっち側」にいけない。
もう小銭の入ったボトルを抱えて並べない。
自分は甘えた平和ボケしたヤツではないと、すべて世の中は戦いなのだと、誰に向かって言いたいのかも分からずに叫びつつける。
それと同時に小さいころの自分から、それでいいのかと、常に問いかけられる。
わからない。
自分がどうしたらいいのか、どうしたいのか。
★ ★ ★
叫ばなければ やりきれない思いを ああ 大切に捨てないで (人にやさしく by THE BLUE HEARTS)
ホームレスはごみだ [ヨノナカを叫ぶ]
「ホームレスはごみだ。人間として最低で、世の中の役に立っておらず、犬や猫と一緒。生きていようが死んでいようが気にしない」
世の中の役に立っておらず
人は生きているだけで価値があるなんて誰が言い出したのか
人は世の中の役に立たなければ生きている価値などない
死んだほうが世の中の役に立つ人もいるぐらいだ
でもそんな自分でもここに立ち続けてやる
価値がなくとも殺されずに立ち続けてやる
悲しいほど価値を求める気持ちがあっても
苦しいほど他人にすがりつきたい時があったとしても
それでもここに立ち続けてやる
それでもここに立ち続けてやるんだ
自分の努力が他人の首を絞める [ヨノナカを叫ぶ]
【■[雑記] すばらしきゼロサム社会】という記事のこんな箇所。
自分が努力すればするほど他人の首が絞まるのかと思うと力が萎える者は弱虫と蔑まれる。
そう、そうなんだよね。こういうヨノナカはおかしいよ。
だから、自分の努力=他人の首を絞めること、という図式から解体しないといけないと思うのです。
改正教育基本法、防衛庁「省」昇格関連法、成立です [ヨノナカを叫ぶ]
【東京新聞12月15日:改正教育基本法が成立 自民、公明の賛成多数】
【東京新聞12月15日:防衛省、来月9日始動 昇格法成立、恒久法加速も】
【東京新聞社説:防衛省昇格 この先にあるものは】
改正教育基本法は反対の署名もしましたが、こういう結果です。はい。
今、自分が思っていることは、【8月21日:レバノン/イスラエル停戦を願うキャンドル・アクション(アムネスティ) 】の日記に書いたこととほとんど同じなので引用します。
しかし、こういう催しに行くってことが、なんとなく恥ずかしかったり、人には言えない感じがあったりするのは、なんなんでしょうね?
「そんなことしても無駄じゃない?」という一言に反論できないからでしょうか?
つまり、ばかげた行いだから、人には言えない、ということでしょうか?
参加してみて一つ思ったのは、仮に自分からみてばかげたことをやっている人たちがいても、それを非難する理由はまったくない、ということです。
というか、無駄でばかげたことだと思っているのであれば勝手にやらせておいても自分にはまったく影響がなく、かつそれ自体効果がないと思っている訳ですから、なおさら非難をする必要はまったくないし、逆に非難するだけ労力の無駄です。
(誤解されると嫌なので付け加えると、私はアムネスティの方々がやっていることがばかげたことだと言いたい訳ではありません)
最後のつけたしにも関わらず、なんか誤解されそうな文章ですが、「自分がやりたいと思ったことをやるしか先はない」ということと、「人がやってることをとやかく言っても自分はどこにも行けない」ということです。
「正しい」ことでもなく、「必要」なことでもなく、「自分がやりたいと思った」ことをやる。
人に扇動されるのではなく、人を扇動するのでもない。
私はいまだこういう気持ちでいて、やっぱりそこからしか始められないと思うし、それ以外はウソだと思うわけです。とうぜん自戒を込めて。
教基法署名【公述人・参考人として教育基本法案の徹底審議を求めます】 [ヨノナカを叫ぶ]
【教育基本法「改正」情報センター】での呼びかけです。
【市民緊急賛同署名フォーム】
署名期限は、12月13日(水)午前10時。
以下、アピール文です。
リンク先なども、よくお読みくださいませ。
政府法案の今国会における採決を阻止し、法案の徹底審議を実現するために
「【アピール】公述人・参考人として教育基本法案の徹底審議を求めます」への市民緊急賛同署名を始めます
西原博史(早稲田大学教授)
廣田照幸(日本大学教授)
藤田英典(国際基督教大学教授)
1
私たちは、12月6日に公表した「【アピール】公述人・参考人として教育基本法案の徹底審議を求めます」の呼びかけ人です。
私たちは、多くの問題を抱えた政府法案の今国会での採決を阻止し、政府法案の徹底審議を実現するために、この【アピール】への市民の方々からの賛同署名を広く募り、国会に提出することを決意いたしました。
多くの市民の方々は、「何かおかしい」と思いながら、自分の声を国会に伝えることができず、もどかしさや、歯がゆさを感じていると思います。私たちは、この【アピール】を、多くの市民の方々が持っているはずのこのような思いを国会に届けるための媒介にしたいと考えました。
今こそ、職業の壁を越えた市民と研究者との間の広い共同を実現し、「法案を採決するのではなく、その徹底審議を!」という広範な声を国会に強力に伝えるべきだと思っています。
2
そこで、教育基本法「改正」情報センターの協力を得て、電子署名により、私たちが呼びかけ人となった【アピール】への市民の賛同署名を集め、国会にそれを提出することとしました。
情報センター(http://www.stop-ner.jp/)のHPからアクセスして、所定のフォーム(http://www.fleic.dyndns.org/cgi-bin/appeal1206.cgi)に入力すれば、署名をすることができます。署名の第1次集約を13日(水)午前10時とします。同日午後に参議院教基法特別委員会委員に手渡しする予定です。
3
電子署名の期間は限定されています。至急署名をしていただき、できるだけ多くの方にこの緊急署名をお知らせいただけるようお願い申し上げます。可能な限り多くの市民の方々の声を、私たちの【アピール】とともに国会に届け、今国会における政府法案の採決を阻止したいと考えています。
皆様のご協力を心からお願い申し上げます。
参考リンク:
【教育基本法「改正」情報センター】
【政府法案の今国会における採決を阻止し、法案の徹底審議を実現するために「【アピール】公述人・参考人として教育基本法案の徹底審議を求めます」への市民緊急賛同署名を始めます】






