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強制と教育の関係について [それでもどっこい生きてます]

「教育するには強制が必要だ」という言い方があります。時によっては暴力も容認されます。

私はそれはちょっと違うとずっと思っていて、でも、「じゃあ何もしないで子供が育つっていうのか!?」とか詰め寄られると、「むむむむむ~」となってしまいます。

【空気を読まないロクデナシへの讃歌~国旗国歌強制は違憲という判決に寄せて 】を書いた後、この「強制と教育の関係」について考え込まざるを得ませんでした。

私は「強制」と呼ばれているものの何が嫌いなのか。
自分が子供のころ「強制」されて何が嫌だったのか。

多分、「その人がその人の考えを”無意識”に強制してくる」そのこと自体が嫌だったのです。
その人が「自分が何を強制しているか自覚がない」事自体が嫌だったのです。
さらにいえば、それに結局従ってしまう自分が嫌だったのです。

私は、別に無責任な人になりたい、自分の思い通りになんでもやれるべきだ、自由であるべきだ、と思っていたわけではありません。
人を押しのけてまで何かをしたかったわけではないのです。
社会のルールを無視したいと思っていたわけではないのです。

でもそれは無自覚に他人の意見に従うことでもないはずです。

「教育するには強制が必要だ」という言う人が、「ほっとくとヤツラは自分をコントロールできない」という言い方をします。最近の成人式を例に出したりもします。

確かに、社会生活を営む上では、
「自分は自分を”なるべく”コントロールできた方が望ましい」(あくまで”なるべく”です)
のは社会の為にも、自分の為にも正しいことだと思います。

でもそれは、「ほっとくとヤツラは自分をコントロールできない」という人が、「じゃあ、オレが変わりにコントロールしてやるよ」ということ、それを許すこととは、まったく違うことです。

そういうことを言う人は、
「自分が他人をコントロールできた方が望ましい」
と思っているし、
「自分が社会をコントロールできた方が望ましい」
とさえ思っています。

落ち着いて考えたい。今だからこそ落ち着きたい。深呼吸しよう。すーはーすーはー。

あくまで重要なのは、
「自分は自分を”なるべく”コントロールできた方が望ましい」
という点だけです。

自分が自分に許す強制だけが教育を可能にするのだと思うのです。


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