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本田由紀のblog閉鎖、一体お前ら何がしたいんだ! [それでもどっこい生きてます]

とても頭にきています。

せっかくの日曜日だし、本屋にでも行くつもりだったけど、あまりに頭にきたので、この記事を書くことにしました。

たまに見に行く、【キリスト者として今を生きる】というblogの【「教育」で力をもちいること…父と私のお話 】のコメントに【こんなURL】が。

んで、そのさらに先は、【本田由紀氏のブログ閉鎖と稲葉振一郎氏の政治】という内藤朝雄のblogへのエントリーに繋がっているのですが、読んでいて頭にくるやら泣けてくるやら大変なことになってしまいました。

詳細はリンク先を見てください。

私は内藤朝雄のこの記事に同感し、頭にきています。

泣けてきたのは、こんな一節。

> しかし、本田氏のブログが荒らされているときにいそがしくて後回しにしていたことに対して、ひどく負い目を感じている。正直に白状すると、やらなければならないとは思いながらも、時間と労力のロスがしんどかったのだ。
> ブログが閉鎖されることを知ったとき、「しまった!」と思った。
> いじめに対しては、どんなにいそがしくても、迅速に対処すべきだ。
> いじめ屋としては、こんなことはわかりきっていたはずなのに。
> インタビューなどでは、「もっとはやく介入していたら」という嘆きをどれだけ耳にしたことか。
>
> 本田氏のブログが死んでしまった

もうね。誰も味わいたくないわけですよ。こんな気持ちは。

【議論をすることは良いことですか?】を書いた理由のひとつには、こういったクソくだらないことが起こることが心底嫌いだからです。

一体なにがしたいんだ!ばかやろう!ふざけるな!

誤解されると嫌ですが、blogが炎上したことが問題ではありません。

同じ学者で、名前も出しているような人たちが、高みから人をコケにする。
で、blogというかネット上のテクニックを使って、相手を翻弄する。
ネットのテクニックが分かっていない相手は、うまく操られてどんどんひどいことになっていく。

これをイジメとして言わずなんと言いましょうか。

大元の記事である【「教育」で力をもちいること…父と私のお話 】は「体罰は教育になるか」というテーマですが、本田由紀のblogの件は、「ネットでの煽りは教育になるのか」とでもいう問題をはらんでいます。

この「ネットでの煽りは教育になるのか」は、じつは右翼左翼ネタを書くときにいつも、言葉にしてみようと思い続けているのですが、いまだ文章にできません。

でも、「ネット上の煽りは単にイジメである」というのは、かなり真相に近い気がします。
このテーマはまた何かかけることがあったら書きたいと思います。

以前、私が本田由紀と内藤朝雄の本を読んだときの感想は以下。

「いじめの社会理論」 - 【さるさる日記:2005年1月22日】
「「ニート」って言うな!」 - 【2006年2月4日】
「多元化する「能力」と日本社会 ハイパー・メリトクラシー化のなかで」 - 【2006年2月27日】

しかし、こんなに頭に血が上ったのは、何年ぶりだろうか。プンスカ!


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mixiの日記と連動させました [それでもどっこい生きてます]

さっき、【議論をすることは良いことですか?】を書いてて、猛烈にmixi日記と連動させたくなったのでくっつけました。

どっちみち、mixi日記は書いてなかったし。

※mixiからやってくる、リアルつながりのあるみなさんへ(マイミク少ないけど)

このblog、基本は読書日記ですが、結構色々書いてます。
政治ネタも出てきます。
内面ネタも出てきます。
楽しいネタは少ないです。
毒性が強いかも知れません。
「リアルとキャラが違う!」という意見は受け付けません。こっちが本体です。ご注意ください。
でも、文章の内容や雰囲気よりは、いいやつだと思っています。思いたいです。思わせてください。お願いします。

一応、個人が特定されるコメントは避けてもらえると、生活が安定するので助かります。

コメントがあれば大変うれしいですが、全コメントにレスしてるわけじゃないので、レスが付かなくても怒らないでください。単に気分がのらないだけです。人間だもの。

ではではー。


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議論をすることは良いことですか? [それでもどっこい生きてます]

「議論をするのは良いことだ」という言い方がありますが、私はその言い方に微妙にしっくり来ないものを感じています。
それは多分、議論をする=相手を打ち負かす、というイメージが私にあるからだと思います。
朝まで生テレビが嫌いになったのは、そういうのがバカバカしいからです。

私は誰かを打ち負かしたいのではなく、自分を意見をきちんと聞いて欲しいし、相手の意見をきちんと聞きたいのです。

飲み会に行ったりしても、人数が5人以上だと、もうそういったことは望めませんからバカ騒ぎをしてその場を楽しむことにします。だからあまり大人数の飲み会は好きではありません。

Webに日記を書くようになった動機は、まず自分の中にある「何か」、できれば人に言いたくない「何か」を、”人に向けて”吐き出すことで、自分が本当は何を感じているのかがもうちょっと分かるようになるのではないか、という思いでした。

それは、漠然と生きてて楽しくなかったりする原因が何なのかを知りたい、このままの状態で年だけ取っていくのは嫌だ、という思いに連動していました。

そういう意味で、自分の為だけに、他人と自分に向けて書き始めた日記です。(わがままだぁ!)

初めは【さるさる日記】に書いていて、そちらではコメントやトラックバックはできなかったのですが、それはよかったと今では思います。
blogは、それらのコミュニケーションの機能が発達している点がすばらしいですが、自分の考えを一方的に他人に吐きつけるには不向きです。
他人から意見を言われる可能性におびえている時期には、それは「やっぱり書くのやめよう」という方向に作用してしまい、本末転倒だと思うわけです。
日記のテーマを「読書」にしたのも、書評が書きたいというよりは、自分が書き続けられるネタが必要だったからに過ぎません。本は好きでずっと読んでいましたからね。

んで、1年ほど前からblogにしました。

ここでの動機は、「やっぱ画像使えたほうがいい」とか、「amazonのリンクはれれば、見た目で本の紹介ができるから本屋で探しやすい」とか、「やっぱしblogにしてみるか」とか、わりと軽いノリです。
その前にmixiに入って、SNSでのコミュニケーションの楽しさに気づいた点も影響してるかも知れません。

そうこうするうち、blogやmixiの日記で、意外な人の意外な発言を見かけるようになりました。

普段、仕事場での会話や飲み会では語られないこと。
「和」や「楽しさ」が重要視されるところでは語られないこと。

それは、職場では話すことの出来ない仕事への思いであったり、自分の家族のこと、いじめの経験、政治や宗教の話だったりしました。

それは多分、自分と同じでみんな自分の意見や思いを吐き出してしまいたい、できれば誰かに聞いて欲しいと強く思っていたからだと思います。たとえそれが世の中的には、わがままや甘えや恥じだと言われることであったとしても、語りたいものは確実にある。

議論するのではなく、まず単に自分のことを語りだすこと。語りだせること。

みんな語りたいことがあるなら、そういう状況はとてもステキなことじゃないでしょうか?

「正しい意見」や「人のためになる意見」だけしか語れない狭い場所にいつづけるのではなく、もっとなんでも語れる広場のような場所にいたい。

自分はそう強く思っているし、あえて言い切るなら、みんなそう思っていると言いたい。言い切りたいのです!


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