So-net無料ブログ作成

蝉は羽化するために生まれるのか? [それでもどっこい生きてます]

岡本太郎美術館は、生田緑化公園という森の中にあります。

美術館からの帰り道、途中の木に人垣が。
みんな写真を撮ってる。

覗き込むと、そこには、羽化を始めたセミがいました。

うわ!はじめてみる!すげー!

木にしがみつく茶色いカラダ、抜け出そうとしている緑っぽいカラダ。

デジカメを持ってないことを悔やみながらも、食い入るように見続けるわたくし。

ただ、そのセミは良く見るとカラダの左側しか抜け出せておらず、右側が殻に入ったままです。
なんでだろう?とちょっと嫌な不安に襲われます。

そうやって見ている間にも、「セミが脱皮してる!」とか騒ぎながら、子供が入れ代り立ち代り見に来ます。
心の中で「羽化っていえよ!」と思いつつ、訪れる人の8割は「脱皮」といっていて、こうやって日本語は変化していくのか、とか考えてました。(ウソ)

1時間ほど見続けても、片方の体はほとんど外にでて、色も緑から茶色に変化していくのに、右側の体は出ないまま。
しかも、だんだん動きが少なくなっていき、日差しも傾きだしてきます。

「もしかしてダメなのかも」と、誰に言うとも無しに言う人もあり、でも見ている人は、「がんばれ」と思ってみている。周りでうるさく鳴いているセミも、彼を応援している様に聞こえる。

結局、最後まで見届けることはしなかったんですが、彼はその後無事羽化できたのか。

しかし、見てて思ったのは、もし羽化できなくても彼は生きたのだし、また死ぬのだということ。

羽化できることが、ひとつの正解ではない。強くそう言いたい。彼のために言いたい。

蝉という種を考えた場合、もちろん子孫を残すことが、種として生き残ることであるでしょう。
でも、羽化できなかったとしても、彼の体は他の生物の餌になりムダにはならない。
蝉の視点だけで見ると間違ってしまう。
もちろん人間だけの目で見ても大間違い。

羽化できることだけが正解であってたまるか!ボケ!


nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(2) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。