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人間ドック [それでもどっこい生きてます]

今年も人間ドックへ。

ぶっちゃけいえば、企業が行う健康診断や人間ドックって良く出来た金儲けの手段ですよね。
別に従業員の健康を気遣っているわけじゃなく、国の仕組みで決まっているからやってるだけだし、その国の仕組みのおかげで自動的にお客さんが来るなんて、いい商売です。

ありがたがっている人はバカです。

さらに、最近だと体だけじゃなくて精神面も気遣ってくれて、色々アドバイスくれたりします。
今に健康診断や人間ドックに精神科の項目が出来てもおかしくないですね。

ありがたがっている人はアホです。

税金が自動的に徴収され、年末調整も企業でまとめてやってくれ、健康の管理も国がやってくれ、精神状態の管理も国がやってくれる。

それはなんて良く出来たバカやアホを量産できる仕組みであることか。

もうバカにされるのは嫌です。

できるところまで自分で歩きながら、歌いながら、考えよう。連れ合いがいればなお良し。


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「なぜ人を殺してはいけないのか?」永井均/小泉義之 [日々読み考える]

「なぜ人を殺してはいけないのか」については、何度か書いたことがありますが、「戦争では人を殺してるじゃん」という点に気づかされたので、「社会がする人を殺して良いかどうかの判定は、そのときの都合による」という形で落ち着いています。

少なくとも自分は「オレは人を殺したいんだけど、なぜダメなんだ」と悩んでいる訳ではないし、友人から相談されている訳でもないので、その分、自分の身にひきつけて考えることができないし、その必要も今は感じないので、実はあまり興味がない話題になっています。

ただ、他の人がどう思っているのかは、やや知りたくもあり、小泉義之の本ということで買ったのでした。

んが、なんだか良く分からない読後感。

二人の哲学者の対談と、その対談を踏まえての二人のコメント、という形なんですが、二人の対談自体、話が飛びすぎてついていけませんでした。

永井均が書いた章で、小泉義之が何を言いたかったのか良く分からない、を連発しているので、実際にかみ合わない対談だったんでしょうね。

うーん。

次いってみよう!

なぜ人を殺してはいけないのか?

なぜ人を殺してはいけないのか?

  • 作者: 永井 均, 小泉 義之
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1998/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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戦争体験の温度差(「戦争で死ぬ、ということ」補足) [それでもどっこい生きてます]

「戦争で死ぬ、ということ」の中で、実際に本土が空襲されるまで戦争をしている実感がなかった、新聞などの情報を見てもどこか他人事だった、という話が出てきます。
とても率直な感想に思いますし、そりゃそうだとも思います。

そういう人たちにとっては「空襲」が戦争体験であり、それ以外の戦争体験はない。

【8月20日の日記】に、なぜ人を殺されたことは語られて、人を殺したことは語られないのかについて書きましたが、実はそんな小難しい話じゃなくて、単に戦争中でも日本にいた人、特に多くの女性は人なんて殺していないのですよね。
そんな当たり前のことに、まったく気が付きませんでした。

戦争中であっても身近に危険が迫らない限り、戦争の実感はわかない。

自分が戦争を止める為には自分で何か行動することが必要で、もし他人の扇動にのせられないとするならば、行動する為には自分の中に何か動機がなければ動けない。
自分の身に危険が迫るまで戦争の実感が期待できないのであれば、その実感のないもの、無視可能なものを、何らかの形で自分の身にひきつけて行動の動機とすることになる。

その方法とは、想像力なのか知性なのか、それとも全然別なものなのか。

分からない。分からない。分からない。


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「戦争で死ぬ、ということ」島本慈子 [日々読み考える]

以前、【敗戦後論】の感想を書いたときに、戦争の悲惨さを元にした平和運動の限界について、ちょっと触れました。

「なんで戦争体験を聞くことに拒否感があるんだろう」と考えてみて、一つ思うのは、それを「上から押し付けられた話」の一つとして受け取ってしまい、素直に聞くことが出来ないことがあると思います。「早く学校に行きなさい」とか、「今勉強しておくと将来楽」とか、そういう話と一緒なんです。
なんで学校に行かなければ行けないのか、なんで勉強しなければいけないのか、大人は明確に説明してくれませんでした。

ただ、そうしろといわれ、それに従うだけ。

戦争体験にしても同じで、「戦争は悲惨だから二度としてはいけない」という言葉に重みを感じられないのです。なんで悲惨だけを語るのか、戦争体験者の人は明確に説明してくれません。
悲惨だけを語るのはどこかウソっぽいのです。だって日本国が戦争で人をたくさん殺したことも同じぐらい重要なのに、それは語られない。

戦争体験を素直に聞けないというのは、自分でもひどい話だと思っていますが、とりあえず現状は悲しいかなそういう状態です。

この本は、戦争で死ぬこと、敵とか味方関わらず、人を殺す人に殺される、という点である程度バランスが取れていました。戦争体験の本としては良い本だと思います。

もう一つ。

まだ良く練れてないのですが、たとえば今の競争を勝ち抜いていくことが正しいとされる世の中、経済的な価値が追求され、国益も国際競争力というひとことで推進される世の中。

そういう世の中が容認されていて、なんで戦争が否定されるのか、私には良く分かりません。

それは、戦争も容認しろという話ではもちろんなくて、競争社会は未来の人からみれば大変ひどいことをやってるといわれる様なものじゃないのか?ということです。

戦争だって今は「最悪だ」と分かっているからやりたくないとはっきりいえるけど、当時は「必要なもの」だったから行われていた面があったわけで、競争社会も未来の視点からみれば、今の戦争を見る視点と同じようなものだったとしても、全然不思議じゃないと思うわけです。

で、日本だってこのまま行けば、「国際競争力をつける為に武器を作ろう」とか、「競争社会で生き残る為には戦争もやむをえない」とか、コロっとなって、なんだそりゃ、ってことになる気がするのです。

結局、「平和」というのは、競争原理の上には成り立たないんじゃないのか、そんなことを思うのです。

戦争で死ぬ、ということ

戦争で死ぬ、ということ


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「Dear Pyongyang - ディア・ピョンヤン」見てきました [それでもどっこい生きてます]

【Dear Pyongyang - ディア・ピョンヤン】を見てきました。ヤン・ヨンヒ監督のプライベートフィルムをまとめたドキュメンタリー

北朝鮮というと、そりゃもう拉致だ、ミサイルだ、軍事国家だと、メディアが煽るのはそういった危険な国家、敵国というメッセージばかりです。

この映画は、監督である在日二世の女性が、在日一世であり朝鮮総連の幹部であった年老いた父に色々と問いかける形で進行します。
テーマだけ聞くと深刻になってしまいますが、そのお父さんはステテコすがたで登場し、本当に普通のおっちゃんとして、酒飲んでたり、恥ずかしそうにお母さんとの馴れ初めを話したり、早く結婚しろと娘に言ったりする映像がたくさん出てきます。

監督の方も大阪の人らしくぽんぽん話すタイプで、カメラを回しながらの会話は重苦しいものではありません。

でも、そういった普通の親と娘との会話の中で、たとえば韓国籍に切り替えたいと思っていることとか、結婚相手はなんで日本人やアメリカ人はダメなのかとか、兄三人を北朝鮮に「帰国」させたことをどう思っているのかとか、「北朝鮮」が顔を出します。

父親は朝鮮総連の幹部であった訳で、もちろんそんな話を娘からは聞きたくないに違いありません。でも父の口から直接聞きたい。親と子としてキチンと話をしたい。そういう監督の祈りとも叫びともつかないものに導かれるように、おっちゃんである父親はぽつぽつと、苦しそうに、時には恥ずかしそうに話をする。
北朝鮮だのなんだの問題を超えた親と子の会話がとても心にしみます。

途中、新潟からマンギョンボン号に乗って北朝鮮に行くシーンが続くのですが、ほとんど知らない北朝鮮の街の映像や、兄夫婦との家族団らんの映像をみて、やっぱり人の生活はあるんだな、と、当たり前のことを思ったりしました。
おばちゃんが来て、姪っ子や甥っ子がはしゃいだり、泣いたり、ピアノを弾いたり。
北朝鮮に問題がないということを言いたいわけではなくて、国に色々な問題があっても、一般の人は生きているんだな、ということです。

もし、北朝鮮とむやみに戦争をすれば、そういう人たちと殺しあうことになるわけですよ!!

見終わった後、舞台挨拶とちょっとしたトークコーナーがあって、自分の思いを語る監督さんはとても率直な方で、この映画をみてもし親子の対話が増えればとてもうれしいと、言っていました。
そうそう、女性ながらキムタクに似てました。

彼女のエッセイ集を買って、サインもらってしまった。

ディア・ピョンヤン―家族は離れたらアカンのや

ディア・ピョンヤン―家族は離れたらアカンのや

  • 作者: 梁 英姫
  • 出版社/メーカー: アートン
  • 発売日: 2006/08
  • メディア: 単行本


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「悪魔のささやき」加賀乙彦 [日々読み考える]

凶悪な殺人事件が起こり犯人が捕まると、ニュースではその犯人がいかに異常な性格で残忍に人を殺したか、などが語られます。
「早く死刑になって死ね」みたいなことも、遠まわしに語られます。

殺人事件じゃなくても、ライブドアとか村上ファンドとか、なんでもいいんですけど、何か悪いことをしたと「世の中が認めた相手」に、みなで一斉に石をぶつけ、ののしる。

私はそういう雰囲気がとても嫌いで、【ニュースでの街角インタビューは無意味、さらにいえば有害 】というエントリーも以前書きました。

この本は、元拘置所の医務技官を勤めた精神科医で今は作家の人の本です。
凶悪殺人犯との面会や自殺に失敗した人との面会を通じて、人を殺したり自殺したりするきっかけが、ほんの些細なこと、「悪魔のささやき」としか思えないことで、起こったりしているのだと、筆者は書いています。
もちろん、綿密に計画された殺人や自殺もあるでしょう。
でも、ニュースで見聞きするそれらの人たちが自分たちと違う人であると考えるのは間違っている、ただ魔がさしただけで、同じ愚かで弱い人間なのだ、と筆者は言っています。

何か悪いことをしたと「世の中が認めた相手」に対して、みんなが一斉にやいのやいの言うのが嫌なのは、多分、そういうことをする人たちが、「コイツはオレと違う。オレは正しいがコイツは間違っている」という雰囲気を安心して惜しげもなく撒き散らしているからだと思います。

同じ愚かで弱い人間、だとは思っていない、自分は正しく強い人間だと思っている。

でも、その「正しさ」とか「強さ」は、今の世の中に認められただけの「正しさ」や「強さ」であって、寄らば大樹の陰、虎の威をかる狐、でしかないと思うのです。

確かに、自分が正しくて強いのは気持ちの良いことです。
なにより安心だし生きることに疑問なんてありません。
周りには常に仲間がいて必要ともされます。
とてもすばらしい人生。

でも、それを無自覚に受け入れてしまうことは、自分でなくなること、群れの価値観が絶対になることで、私はそれが嫌だし怖いのです。

その群れの価値観がひっくりかえる時、その群れの価値観しかなかったとしたら自分はどうするのでしょうか?
また新たにできた群れの価値観に、何も言わず従うしかなくなるのではないでしょうか?

そんなのは絶対に嫌です。

歩くのに疲れて何かに寄りかかってしまうことはあるにしても、歩けるところまで自分で歩く、歌いながら歩く、歩けなくなったときの心配はしない。
誰かが倒れていたら助ける、ただその人が自分で歩けるようになれば握手をして別れる。

そんなことを続けることで、なんとか「悪魔のささやき」を跳ね返していく。

とりあえず、そんなことからしか始まらないと思うのです。

悪魔のささやき

悪魔のささやき


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「希望について」立岩真也 [日々読み考える]

自分のものはどこから何が自分のものと呼べるのか。
たとえば、稼いだお金は、自分の能力で稼いだといえるのか。
たとえば、五体満足なのは、自分の能力と言っていいのか。
たとえば、自分の体はどこまで自分のものなのか。
そんな自明なことと思えることは、どこまで自明なことなのか疑ってみても良いのではないか。

そんなこんななことが書いてあります。

んー、やっぱりうまくまとめられない。

とにかく、あまり見かけない話だけど、聞いてみると「ああ、そこまで降りて考えることは可能なのか」と思える様な話が書いてあります。
んで、自分のモノゴトフィルターの分厚さにちょっと絶望します。

一つ前に読んだ、【弱くある自由へ】とは違いエッセイをまとめたものなので、一つ一つは短くて読みやすいかな。

えと、筆者のホームページのURLは、
http://www.arsvi.com/
で、
http://www.arsvi.com/0w/ts01/0.htm
に、筆者が書いたものの一部のUPされているので、興味をもたれたら読んでみるのも良いかと思います。
障害者自立支援法のこととかも載ってます。

希望について

希望について


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レバノン/イスラエル停戦を願うキャンドル・アクション(アムネスティ) [それでもどっこい生きてます]

つい先日、レバノンとイスラエルに停戦を呼びかけるメールを【アムネスティ】から勢いにまかせて送ってみたんですが、勢いついでにメーリングリストにも入りました。

んで、そのメーリングリストで、今日、芝公園の増上寺(【今年桜を見に行った場所です】)で停戦維持を求めるキャンドルアクションをやるので来ませんか?という呼びかけがありました。

街頭募金すら偽善っぽくてやらないので、行くまでにかなりためらいがありましたが、えいやっ!と行ってみたのでした。
どんな人たちが、どんな風に、何をやっているのか、興味があったのです。

本堂前の階段にならんだキャンドル。(携帯カメラなので画質は悪いです)


増上寺の後ろには東京タワーが見えます。

私が勝手に想像して心配していた、変な勧誘とか、平和原理主義的な雰囲気とか、募金の強制とかは一切なく(手間賃のカンパはしましたけど)、淡々とレバノンやイスラエルの現状に対する話やスライドの上映があり、最後には上の写真にあるようにキャンドルを並べて、黙祷し、最後にちょっとだけまた話があって、合計1時間ほどで解散となりました。
参加人数は50人前後かなぁ。若い人も年配の方も子供づれもカップルも色々な人がいました。

アムネスティの人が話していた、「イラク戦争の後に、レバノンへの攻撃があって、無力感に負けそうになり、ちょっとの間、何をして良いか分からなくなった」という話が印象的でした。
とても率直な感想だと思います。うむむ。

しかし、こういう催しに行くってことが、なんとなく恥ずかしかったり、人には言えない感じがあったりするのは、なんなんでしょうね?

「そんなことしても無駄じゃない?」という一言に反論できないからでしょうか?
つまり、ばかげた行いだから、人には言えない、ということでしょうか?

参加してみて一つ思ったのは、仮に自分からみてばかげたことをやっている人たちがいても、それを非難する理由はまったくない、ということです。
というか、無駄でばかげたことだと思っているのであれば勝手にやらせておいても自分にはまったく影響がなく、かつそれ自体効果がないと思っている訳ですから、なおさら非難をする必要はまったくないし、逆に非難するだけ労力の無駄です。
(誤解されると嫌なので付け加えると、私はアムネスティの方々がやっていることがばかげたことだと言いたい訳ではありません)

でもなぜか、こういう行いは時に非難され陰口を叩かれたりします。不思議です。

私は今回の参加で、何も嫌な思いをしなかったし、実際に現地に行った人の話も聞けたし、割合に有意義だと感じたので、次に何かあるとき暇であれば、また出向いてみようと思います。

本。(明らかに買いすぎだ・・・)

なぜ人を殺してはいけないのか?

なぜ人を殺してはいけないのか?

  • 作者: 永井 均, 小泉 義之
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1998/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


病いの哲学

病いの哲学

  • 作者: 小泉 義之
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2006/04
  • メディア: 新書


「「負け組」の哲学」の著者、小泉義之の本を追加~。

戦争で死ぬ、ということ

戦争で死ぬ、ということ

  • 作者: 島本 慈子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2006/07
  • メディア: 新書


「はじめに」で、「アドルフに告ぐ」を取り上げていたのと、戦後生まれの自分の感性を頼りに書いている、という帯のセリフに惹かれました。さて中身はどうでしょうか。


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只今8/20 1:45、NHKスペシャル再放送中(もう終わりました) [それでもどっこい生きてます]

NHKスペシャル[再] 「日中は歴史にどう向き合えばいいのか」

をやってます。2:35マデ。

中国と日本の戦後の外交の話です。

Yahooの番組欄の説明だと、
・戦後61年の交渉と対立
・日中の外交当事者に徹底取材・両国の溝はこうして生じた
・周恩来と角栄の攻防
・戦争責任と靖国
ということ。

かなり興味深いので、よかったらどうぞ。

~~以下、2:30追記~~

「人を殺した記憶は語られない」、「人を殺された記憶は語られ続ける」。

国がどーのとかの話は別として、実際に戦争時期を生きて、殺し殺される体験をした人が何を語るかは、こういう感じになるのではないでしょうか。
小説家などの様に表現に命をかけてるのでもなければ、人を殺した経験なんて語らないでしょう。
だから、日本国民が語るのは原爆や空襲などの「殺された」話で、中国国民が語るのは、南京大虐殺やら侵略の歴史などの「殺された」話になってしまう。
それは、おじいちゃんおばあちゃんから聞く話としては、ひとまずしょうがないと思うのです。

でも、いそいで付け加える必要があるのは、だからこそ事実として日本国民がたくさんの人を戦争中に殺したことを知る必要があるんだと思うのです。

語られないことを増やしてはいけない。
歴史の空白を作ってはいけない。

それは倫理的なものではなくて、トラウマになることへの防止に近いものです。

小さいころに受けた嫌な事実があり、でも、とりあえずはそれを忘れてしまうことで生きながらえてきたとしても、結局大人になってそれが何か自分ではコントロールできないことを生んでしまう。
それは、嫌なことがあったその事実が問題なのではなくて、その記憶を忘れたことにした語られないものにした、そのことが原因です。

だから、今、これからを生きる為に語られないことを増やしてはいけないと強く思うのです。


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積乱雲といわゆる右翼 [それでもどっこい生きてます]

とにかくあつい。いったい何度あるんだ?

まぁ暑いけど積乱雲がとてもとてもキレイです。夏はやっぱり積乱雲ですね。

靖国やら北朝鮮やら拿捕やら加藤・元自民幹事長の事務所が右翼男に放火されたやら、色々と書きたいと思いつつ考えがまとまりません。

一つ気になってしょうがないのは、自分はいわゆる右翼と呼ばれる人と同じ思考をしているのかも知れないということ。
もしかすると、歴史的事実と呼ばれるものを掘り起こす行為自体が右翼的思考を促すのかも知れない、とか考えています。
東京裁判の有効性とか、戦争中に日本国民が大量の人を殺してきたこととか、多分、それらはやろうと思えば、すべて日本国の都合の良い解釈は可能なんだと思います。
事実、色々と本を読んで、自分もそう考えている面があります。
そして、いわゆる右翼と呼ばれる人たちは、「都合よい解釈」とかじゃなくて、それが唯一正当な解釈だと主張するでしょう。
逆に原爆投下の妥当性についても、アメリカ国の都合の良い解釈は可能で、さらにそれが唯一正当な解釈だと主張する人たちはいるでしょう。

現代でいえば、「靖国参拝について云々するのは内政干渉だ」とか、「北朝鮮のミサイル私設をピンポイント爆撃せよ」とか、「拿捕についてロシアに強く抗議」とかも同じで、国益さえキーワードにすれば、すべて正当化されうる状況です。

「国際法を遵守さえすれば、どこまでも国益を追求することは許されるのか」

自分で書いてみて、とても力の弱い問いに感じます。

なぜ、アメリカ国のアフガニスタンとイラクへの攻撃を止められなかったのか。
なぜ、日本国が戦争に向かっているのに止められそうもないのか。

それは、様々な政治的なレベルの話があるにせよ、国益を追求することが圧倒的に正しい、そして何より「気持ちが良い」と私が思っているからじゃないのか。
国の力をまとった日本国民として、ちっぽけな自分を超えていける気持ちよさ。
その誘惑に負けそうだからじゃないのか。

「いやオレだけはそうじゃない。違うんだ」と言うとしても、そんなんじゃ、いわゆる右翼の人には通じない。ただ後で、「あ、自分は前々から戦争は反対だっていってたんですけどね」という言い訳にしか使えない。

具体的に止める方法はないのか?

戦前にあった「原理日本」という右翼団体の蓑田胸喜は、はじめの内こそ大学知識人や政府の腰抜けぶりを糾弾していたものの、日本自体が急速に右傾化してく流れで、結局排除されてしまいます。
彼がその時に「自分は間違っていた」と言った意味はなんなのか。私には良く分かりません。

ただ、少なくとも、いたずらに社会を煽って加熱化させていくことは、とても危険なことだと、それだけはいえるのじゃないでしょうか。

なんだか、長々と取り留めない文章になってしまいました。

色々と誤解されそうな気もしますが、「いわゆる右翼は嫌だよねー」ということじゃすまない状態で、それであれば「いわるゆ右翼ってなんだろ?」ということに、もうちょっとみんな敏感であっても良いと思うのです。

本。

悪魔のささやき

悪魔のささやき


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