So-net無料ブログ作成

強制と教育の関係について [それでもどっこい生きてます]

「教育するには強制が必要だ」という言い方があります。時によっては暴力も容認されます。

私はそれはちょっと違うとずっと思っていて、でも、「じゃあ何もしないで子供が育つっていうのか!?」とか詰め寄られると、「むむむむむ~」となってしまいます。

【空気を読まないロクデナシへの讃歌~国旗国歌強制は違憲という判決に寄せて 】を書いた後、この「強制と教育の関係」について考え込まざるを得ませんでした。

私は「強制」と呼ばれているものの何が嫌いなのか。
自分が子供のころ「強制」されて何が嫌だったのか。

多分、「その人がその人の考えを”無意識”に強制してくる」そのこと自体が嫌だったのです。
その人が「自分が何を強制しているか自覚がない」事自体が嫌だったのです。
さらにいえば、それに結局従ってしまう自分が嫌だったのです。

私は、別に無責任な人になりたい、自分の思い通りになんでもやれるべきだ、自由であるべきだ、と思っていたわけではありません。
人を押しのけてまで何かをしたかったわけではないのです。
社会のルールを無視したいと思っていたわけではないのです。

でもそれは無自覚に他人の意見に従うことでもないはずです。

「教育するには強制が必要だ」という言う人が、「ほっとくとヤツラは自分をコントロールできない」という言い方をします。最近の成人式を例に出したりもします。

確かに、社会生活を営む上では、
「自分は自分を”なるべく”コントロールできた方が望ましい」(あくまで”なるべく”です)
のは社会の為にも、自分の為にも正しいことだと思います。

でもそれは、「ほっとくとヤツラは自分をコントロールできない」という人が、「じゃあ、オレが変わりにコントロールしてやるよ」ということ、それを許すこととは、まったく違うことです。

そういうことを言う人は、
「自分が他人をコントロールできた方が望ましい」
と思っているし、
「自分が社会をコントロールできた方が望ましい」
とさえ思っています。

落ち着いて考えたい。今だからこそ落ち着きたい。深呼吸しよう。すーはーすーはー。

あくまで重要なのは、
「自分は自分を”なるべく”コントロールできた方が望ましい」
という点だけです。

自分が自分に許す強制だけが教育を可能にするのだと思うのです。


nice!(1)  コメント(12)  トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 12

とおりすがり

>自分が自分に許す強制だけが教育を可能にするのだと思うのです。

まったくその通りだと思います。うちの子供は日本語もろくに喋る事もできませんが、だからといって強制的に言語を押し付けることは、子供の教育上好ましくありません。

そのことで、いじめられてくることもありますが、それはすべて自己責任です。子供が勉強しなかったのが悪いのであって、教師や親に何の責任もありません。むしろ、自由に教育してくれたので感謝しているくらいです。

さすがに、日本語の読み書きもできないと職業選択の幅も縮まりますが、子供には身を持って自己責任の重みを感じて欲しいと思っています。私の子供は将来、ヤクザになりたいと言ってますが、子供の自由にさせたいと思います。私はどんな職業に対しても偏見を持たない子供が育ったことに正直なところ誇りを持っています。
by とおりすがり (2006-09-28 03:21) 

kircheis

単なる言葉遊びになっちゃうけど、教育は「強制」じゃなくて「指導」なんだ
よね。本当はさ。行事に参加させるのも、校則を守らせるのも、みんな
「指導」なんだよね。でも子供にとっては強制って感じちゃうけど。

それと、一番危険なのは、教師が自分の考えを押し付ける=強制する事が
指導だと勘違いしてるってことだと思う。
本来の教師は、ある事象に対していろんな見方を児童・生徒に提示して
くれる存在であるだけでいいはずなんだけどね。あとは、各自、子供が
考える番。自分がいいと思う見方を選択すればいい。

でも、最近の教師はどうなんだろうね。忙しすぎでそんな手間かけられない
のが実情なのかなぁ。
by kircheis (2006-09-28 04:28) 

suzuran

ひげたまさん、はじめまして。
飯大蔵さんの国旗国歌トピからこちらにきました。私も「日々むむむ」の人です。
ところで
>自分が自分に許す強制だけが教育を可能にするのだと思うのです。

ホントにそうですね、が、これは飽くまである程度成長してから、のことではないでしょうか。やはり乳幼児期は意識しなくても赤ちゃんに「任意」と言うわけには行かないから、結果的に押し付け、強制、の部類になるのでは。
そういう意味で親のおしつけは子供が成長するまでつづきますが、それでいいんじゃないでしょうか。子供はものごころつけば反抗してきますし。
それから親子で考えてみるのが自然だと思います。
ですから昔から血統のほかに家風という言葉が言われてきましたけど、これは親の思想を子供が受け継いできたことを指している、そしてそれが家族の一体感となり精神的安定感となってきた。
あまり子育て中にいろいろへ理屈をこねてややこしく考えると、逆に子供に悪影響がある、と思うからです。

ものごとはどうにでも解釈できることが多く、人間の屁理屈ほどいいかげんなものはないですし、私も自分では十分熟慮したつもりでも確信してはいけない、と自戒しています。
by suzuran (2006-09-28 13:07) 

飯大蔵

TB有難うございます。
人間の子供は未成熟で生まれてくるため、教育によりどんな者にもなります。そしてそれを正しい方向に向ける為にもある程度の強制は必要です。しかしそれは一般的にはしつけと言います。
しつけと言いながら子供の虐待を行っていた例もありますから、その区別も簡単ではないのでしょう。
 子供のためと称して強制することもあるし、その強制が子供のためになることも有るしならないこともある。
 ある程度の年齢になれば強制はするべきではないのでしょうね。
by 飯大蔵 (2006-09-28 13:57) 

ひげたま

> とおりすがりさん
私の記事対する皮肉だと思いますが、そうやって「自分の時間」や「自分の言葉」を無駄にするのは、つまらないことだと思いませんか?
読んでいて、とても悲しい気持ちになりました。
せっかくなんだから自分の言葉で語りませんか?

> kircheisさん
はじめまして。

たぶん教師には余裕がないのではないかと思います。

自分がした教育の結果を父母や校長に示さないといけないですから「あくまで子供の自由で」なんて言ってられない雰囲気なんだと思います。
私の記事なんてみたら「なに甘ちゃんなこといってんだよ!」と、むちゃくちゃ怒られそう。

でも「今の世の中こうなんだからしょうがない」としても、その方向にどんどん進んでいくのが良いとは思わないんですよ。
「現実的な対処ができる」ということは、容易に「現状追随でビジョンがない」に転落します。

10年後に「10年前から問題は分かっていた」なんて言ってもしょうがないわけです。

だから、恥ずかしくて馬鹿にされることでも、疑問に思うことは「今」いうべきだと考えています。

> suzuranさん
はじめまして。

コメント、とても参考になりました。

> あまり子育て中にいろいろへ理屈をこねてややこしく考えると、逆に子供に悪影響がある、と思うからです。
私には子供がいませんが、これはまったくその通りだと思います。

親と子や、関係性が築けている大人と子供であれば、「強制をすべきではない!」なんて屁理屈を考えない方が良いと思います。
気に入らないことであれば普通に反発してくるでしょうし、うなずけることであれば自分のものにしていくと思いますから。
さらにいえば、マネして欲しくないことでも気に入ったらマネしてきますよね。(笑)

そういう意味では、今回の記事は「国」やら「学校」というシステム的な話なんだと思います。
「国」やら「学校」が決めた正しいとされていることを無自覚に実行する大人に対して、「もうちょっと考えろよ」と思ってしまうのです。

> ものごとはどうにでも解釈できることが多く、人間の屁理屈ほどいいかげんなものはないですし、私も自分では十分熟慮したつもりでも確信してはいけない、と自戒しています。
まったくもってその通りですね。

今回の記事もそうですが、最近はわざと言い切る様な書き方をしています。

それは、
「自分が本当はどう思っているのか文章にするまで分からない」
ということが多いからで、あいまいな文章は自分にとって意味がないからだったりします。

とはいえ、気をつけていないと本当に確信したつもりになってしまい考えなくなってしまいますね。
肝に銘じたいと思います。

> 飯大蔵さん
お越しいただきありがとうございます。

私のヘナヘナblogと違い、資料に基づいた飯大蔵さんの硬派なblogは勉強になります。

「強制」でも「教育」でも「しつけ」でも、さらにいえば「愛」でも、相手の為になるのかどうかは難しいですよね。
「お前のことを思ってやっているんだ」という言葉は、虐待や体罰、いじめをする人の常套句ですから。

suzuranさんへのコメントにも書きましたが、関係性が築けている大人と子供であれば「強制をすべきかどうか」なんて屁理屈にしかすぎないとも思います。
by ひげたま (2006-09-29 21:29) 

suzuran

レスをどうもです。

>さらにいえば、マネして欲しくないことでも気に入ったらマネしてきますよね。(笑)

ほんと、ほんと!
さらに言うと本人が無自覚にマネしてる部分を見せ付けられてギョッとする
時ほど、親にとって心の奥から"ひそかに”反省を求められる時ってない気がします。
こうして“子供の親育て”が進化していくんでしょうか。経験者は語る、です。

>「国」やら「学校」が決めた正しいとされていることを無自覚に実行する大人

これはホント、怖いですね。

私も前レスに「自戒しています」と言い切ってますが、現実にはあやふやなときもありそうです、念のため。

>最近はわざと言い切る様な書き方をしています。

全く!ですね。なんだかいやあ~な感じがしていました、強がりみたいで。
今の時勢を表しているのでしょうね。
でも日本人もようやく鎖国からの世間知らずが、国際外交を通じて様々な失敗を体験させられて、ようやく目覚め始めてきた予兆なのかもしれません。

人は強くあらねば、つぶされるだけだ、やさしいだけではだめだ、願ったり祈ったりしているだけでもだめだ、生き残ることは、世間は、厳しいんだ、という事に。


>気をつけていないと本当に確信したつもりになってしまい考えなくなってしまいますね。

確信の後は、思考停止か。ホントそうかもしれません。こういうの自己暗示っていうんでしょうか。くわばら、くわばら・・・
by suzuran (2006-09-30 16:01) 

山さん

TBありがとうございました。
いきなりで申し訳ないですが、いろいろ書かせてください。散発になりますがご容赦を。

1、教育現場(中学)では、まず生徒の意見をひたすら聞く(信頼関係を築く)。ということが生活指導(いわゆる教科の指導以外)の前提になります。先生は5~10%ぐらいしか話さない。というのがいいそうです。
その上で先生の考えを伝える。これで生徒はどうするかを考え、最低限守らなければいけないルール(法律とか)を守らせるくらいの指導はする。後は生徒が自分でしっかり判断していく、と。
2、でもそれを忙しさから先生がしゃべりすぎてしまうことも多々あることでしょう。だから先生も悩んでいます。
3、忙しさの原因は何か。いろいろありますが、現時点で教師の絶対数は足りません。でなければ東京都以外の全国で少人数学級など受け入れられません。まあ、国はそれを各都道府県の独自裁量(財布は自分で持て)でやっているわけですが。
4、小学校では一人の先生がずっとその子どもたちを教えます。suzuranさんのおっしゃるとおり、小学校レベルではある程度しつけが必要になります。そういうことを配慮して、一人の人の価値観で生活をしていきます。これを強制と呼ぶかどうかはわかりません。しかし、
5、人間には反抗期がありますから、生徒が自分たちでいままで与えられた価値観から離れ、独自の価値観を形成していきます。
6、その補助をするために、中学からは沢山の先生が教えます。人間は多様性があって、参考を得るためです。
ただ最低限守らねばならないルールもあるわけで、それを先生たちは職員会議とかで確認していくわけです。
7、確かに自分の価値観を強制する困った先生もいると思います。それこそ生徒の前で他の先生の批判ばっかする人とか。それに流されてしまう生徒もいるでしょうが、その内気づくんですよね、「この人おかしい」って。生徒も人間で、成長していく一人の人間だから。

…長々と、まとまってない文をすいません。
もしお目ざわりであれば削除をお願いします、ひげたまさん。m(_ _)m
by 山さん (2006-09-30 17:41) 

starstory

授業中おしゃべりしている生徒がいたら、「勉強したい友達に迷惑だからやめなさい」と「強制」します。でもその他はたいてい「因果関係」だけを教えます。「勉強しなさい」ではなく「毎週の単語テストを大切にしないと後からいっぺんには覚えられませんよ」「今学期の成績で3を取ったら留年ですよ」…その因果関係を受けて、その子がどういう選択をするか、勉強するかしないかは自由です。私が子供だったころ、遊ぶのが好きで「そんなに遊んでばかりいると浮浪者になっちゃいますよ」とお母さんに言われた友達がいました。友達は一週間いっしょうけんめい考えたあと、お母さんに言ったそうです。「お母さん、僕今遊びたいから浮浪者になるよ」…ほほえましいと思いました。だらしがなくてプリントをなくしてばかりいる生徒に、「プリントや書類をきちんと整理して持っていないと、たとえば大人になって税金をよけい取られてしまうことになりますよ」と言ったら、すごく説得力があったみたいでした。「きちんとしなさい」「きちんとするのがよいことです」というのはやっぱり価値の押しつけと紙一重だと思います。
by starstory (2006-09-30 20:00) 

とおりすがり

私は悲しい、とひげ玉さんが仰っていることに、わが意を得たりです。今回のコメントもそうですが、最近はわざと言い切る様な書き方をしています。そのことによって、少しでも気づいていただけで、私の行為は無駄にはならなかったと思います。

とはいえ、気をつけていないと本当に確信したつもりになってしまい考えなくなってしまいますね。肝に銘じたいと思います。
by とおりすがり (2006-09-30 22:56) 

ひげたま

> 山さん
コメントありがとうございます。
目障りなんてことないです。簡単にまとめられることじゃないですから。

うーん、教師全般を責めるつもりはないのですが、そこがうまく伝えられていない感じですね。
山さんからみて、ちょっと前の「差別への凝視」の記事と似た印象なんだと思います。
今の世の中の息苦しさを表現するのに、教育を題材にするのが便利だから、ついつい使ってしまいます。
学校嫌いだったから偏見が入りすぎている面もあります。
国旗国歌の強制うんぬんが元ネタなので、言いたいことが混ざってしまっているのかも。
うーん、難しいなぁ。

> starstoryさん
私は教育者ではないので、現場での具体的な例をあげてもらえるのはとても参考になります。
どうしても抽象的な記事になりがちなので。(でも黙っていられないのですよね。困ったもんだ)
色々な例をあげた上で、
> 「きちんとしなさい」「きちんとするのがよいことです」というのはやっぱり価値の押しつけと紙一重だと思います。
とはっきり言われたこと、とても重い言葉として受け止めました。
starstoryさんの言葉に踊らされない地に足を着いた文章には、いつも唸ってしまいます。

> とおりすがりさん
前回の方と同じ方かな? 管理人としては「とおりすがり」さんは多いので困ってしまいます。
コメントの方は、残念ながら意味が良く分かりませんでした。
by ひげたま (2006-10-01 18:07) 

山さん

私もしっかりまとめられていないのですいません。>ひげたまさん

ひげたまさんの記事に関しては完全に納得しています。
ただ、他の方のコメントを見ていると、やっぱり学校教育っていうのは非難の対象なんだろうな、と感じたのです。
そこに、実際非難されるべき点が含まれていることもわかります。
しかし、少なくとも私は、「多くの点」において、教師や学校のみが非難の対象になるのでなく、「国」こそがその非難の対象となるべきなんだと感じているんです。考えの末とはいえ私的な意見には変わりないんですが…。

学校に否定的な意見を持たれるのはある意味当たり前だと思います。
「(なぜかその責任者であるはずの)政府を挙げて」批判していますから。

だからこそというか、こんな私みたいな意見を持っている人間がいたほうが、とりあえず良いんじゃないかなと思って書かせていただいています。
一つだけの視点になると、危険ですしね。

もちろん自分は自分の意見に責任も自信もありますが、それが伝わるかどうかはまた別として、許される限りは書かせてもらえたらと思っています。
これからもどうぞよろしくお願いします。
by 山さん (2006-10-01 23:53) 

あすなろう

全体の討論に対して共感しました。こういう討論が何処でも真摯に行われればきっと日本ももっとよくなるでしょうね。
by あすなろう (2006-10-05 22:40) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1