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空気を読まないロクデナシへの讃歌~国旗国歌強制は違憲という判決に寄せて [それでもどっこい生きてます]

私個人は国旗や国歌に、とりたてて賛成も反対もないです。
中学まで剣道をやっていたのですが、剣道大会の開会や閉会では必ず君が代が流れていましたし、自分も歌っていました。

今回の判決も「当然のことだよな」という以上の言葉はないです。
「強制」なんてありえないですから普通のことですし、控訴されても勝ち続けて欲しいと思っています。
だから、個人の感覚のレベルでは記事にする必要はありません。

ただ、この当然のことが「画期的判決」と言われてしまう現状は異常だと思っていて、それだけは書いておきたいと思って今書いています。未来の自分に伝える意味も込めて。
~~
【東京新聞9月22日朝刊:国旗国歌強制は違憲】
~~
東京都立高校などの教職員ら四百一人が都と都教委を相手取り、入学・卒業式で日の丸掲揚と君が代斉唱に従う義務がないことの確認と、都教委による懲戒処分の禁止を求めた訴訟の判決が二十一日、東京地裁であった。
難波孝一裁判長は「国歌斉唱などを強制するのは思想・良心の自由を保障した憲法一九条に違反する。都教委の通達や指導は、行政の教育への不当介入の排除を定めた教育基本法に違反する」と述べ、原告側全面勝訴の判決を言い渡した。
都教委側は控訴する方針。 
~~

以下、法律とは関係ない話。

先日の「イェルサレムのアイヒマン」を取り上げるまでもなく、ただ何も考えず「組織の良心」に従って生きていくだけで良いとは思えません。それが仮に大多数から良心と呼ばれるものであったとしても「とにかく自分は嫌」なことはあるはずです。自分の良心に反することはあるはずです。

「場の空気を読んで!」という言い方がありますが、この言葉、最近とても嫌いになりました。

社会生活では大切な「空気を読む」という能力。

確かに処世術としては必要な面が多いですし、なんでもかんでも角付き合わせれば良いわけではないのは確かですが、あまりに空気を読む能力を高めてしまうと、「自分は何が嫌なのか」ということが分からなくなってきます。
そしてそれは、「自分は何が好きなのか」ということが分からなくなっていくこと、他人の頭の中を推測しすぎて自分の頭で考えなくなるということ、そういうことに繋がっていくと思います。

私はそんな自分が嫌でたまりません。
自分の良心の声を聞かず、組織の良心に身をゆだねてしまう自分が嫌でたまりません。

そんなとき、こんなブルーハーツの歌は、本当に自分を救ってくれる訳ですよ!

ロクデナシ 作詞・作曲/真島昌利

役立たずと罵られて 最低と人に言われて
要領良く演技できず 愛想笑いも作れない

死んじまえと罵られて このバカと人に言われて
うまい具合に世の中と やっていくことも出来ない

全てのボクのようなロクデナシのために
この星はグルグルと回る
劣等生でじゅうぶんだ はみだし者でかまわない

お前なんかどっちにしろ いてもいなくても同じ
そんなこと言う世界なら ボクはケリを入れてやるよ

痛みは初めのうちだけ 慣れてしまえば大丈夫
そんなこと言えるアナタは ヒットラーにもなれるだろう

全てのボクのようなロクデナシのために
この星はグルグルと回る
劣等生でじゅうぶんだ はみだし者でかまわない

(Oh~ 生まれたからには生きてやる!生まれたからには生きてやる!)

誰かのサイズに合わせて 自分を変えることはない
自分を殺すことはない ありのままでいいじゃないか

全てのボクのようなロクデナシのために
この星はグルグルと回る
劣等生でじゅうぶんだ はみだし者でかまわない


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コメント 23

山さん

ブルーハーツ、良いですよね。
正直あまり多くは知らないんですが、一曲一曲が沁みてきます。

私もこの裁判に関して記事を書いたので、TBさせていただきます。
気合を入れすぎてしまったなぁとも思っていますが、結局、「強制」っていう事は当たり前にまずいんだっていう事に、世の中が気づいていない(らしい)のが怖いと、どんな人に対しても伝えたいだけなんですけどね。

もし、お時間がありましたら、お越しください…。
by 山さん (2006-09-23 15:45) 

あすなろう

 最近は当たり前のことが、当たり前でなくなってきているんですね。
 自分の国が、人を大事にし、リストラ首切りがなく、弱者がそれ以上に弱者になっていく、そして自殺者が年間3万人を毎年超えるような国でなければ、自分の国にいやでも誇りを持つようになるし、自ずと国を愛するようになるはずです。
 自分が自分でないような心を相手に強要するような国では内面からにじみ出る愛国心は育たないでしょうね。
 正直言って私は日の丸に対しては、違和感はありませんがね。戦前の忌まわしい過去を引きずっている方、特高や治安維持法でいじめられ、やっと生き延びたような方、かけがえのない身内を失った方などは、中々受け入れ難いと思います。
by あすなろう (2006-09-23 20:41)
by あすなろう (2006-09-23 20:44) 

火病

日本は日の丸をやめて、創価学会の三色旗或いは、中国の国旗か韓国の国旗を掲揚する必要があると思います。悪しき軍国主義の反省として、本来、日本はソ連の領土になる予定だったのだから。そのための憲法九条じゃないか。ソ連に占領させるために折角こしらえたものだ。大事にせねばならん。
唯一の誤算はアメリカ軍が進駐したことだ。あれさえなければ、北方領土はもとより、日本国民総員でシベリアに抑留し、強制収容所で使役させるべきだったと思います。日本は一億玉砕で本来滅びる運命にあったのだ。それはレーニンの「敗戦革命論」から当然のごとく導かれる帰結だ。
by 火病 (2006-09-24 00:49) 

ファビョレ

アメリカでも大統領が就任するときは、聖書に手を置いて、宣誓を誓うのだ。だれも、政教分離だから、けしからんとはいわない。これは創価学会も公式に認めていることだ。平和な党であれば、宗教に敬意を払うのは当然のことだ。ダライ・ラマに麻原があったとしても、ダライラマの権威は失われない。ローマ法王が元ナチスの逃亡を手助けしたのも、政教分離の精神がしっかりと根付いているからに他ならない。これでは迷惑さえかけなれば何をしてもいいという成人式のあの馬鹿騒ぎは当然の帰結だ。
by ファビョレ (2006-09-24 04:38) 

ファビョレ

校則に従うことのできない生徒が増えたのも、こういう馬鹿な大人が増えたからなのかな。大人の馬鹿が子供に移ったのだ。子供に罪はない。学級を崩壊させているのは大人たちだ。
by ファビョレ (2006-09-24 04:42) 

ひげたま

> 山さん
記事の方、読ませていただきました。

私はこの話題を取り上げるべきかどうか、かなり考えました。
仮にどんなに考えて書いたとしても、読む人は記事の中身ではなく上空を通り抜けて「あー、左翼右翼的な話だな。やだやだ」と思うと思ったからです。

でも、教育の現場で叫び声をあげている人たちに、
「あんたたちと会ったこともないし、どんな人たちかも知らねーけれど、とりあえずオレはこうやって聞いてるぞ」
ということは、伝えておきたかったのです。叫び声を無視できなかったから。

今回はブルーハーツに助けられました。
どういう記事にしようか考えていたとき、「ロクデナシ」が聞こえてこなかったら記事にできなかったと思います。

> あすなろうさん
愛の問題は扱いが難しいですよね。

> 火病さん
9月3日の記事【本田由紀のblog閉鎖、一体お前ら何がしたいんだ!】
http://blog.so-net.ne.jp/higetama/2006-09-03-2
にコメントいただいた方と同じ方でしょうか?
あの時は、コメントの内容が私には理解できませんでしたので、コメントは致しませんでした。
今回の記事は、国旗国歌の是非について論じているものではありませんし、戦後アメリカではなくソ連が日本を占領すべきだったかどうかについて論じたものでもありません。
すいませんが、元記事と距離のあるコメントは控えていただければと思います。

> ファビョレさん
火病さんへの返答の繰り返しになりますが、元の記事は政教分離のあり方や是非について論じたものではありません。
また、「校則に従うことのできない生徒が増えた」「大人の馬鹿が子供に移った」とファビョレさんがお考えになり、その主張を伝えたいのは分かりますが、私のこの記事へのコメントでされる話ではないと、私は考えます。
by ひげたま (2006-09-24 17:09) 

demian

日の丸、君が代は、宗教的な押し付けだから、反対するのではないでしょうか。政教分離に違反するという理由で、反対するのだから、まったく関係のない話でもないと思います。
by demian (2006-09-25 15:13) 

山さん

>demianさん
…仮にそうだとしても失礼なかき方だと思うのは私だけでしょうか?
自分の捕らえ方を明確に言ってからでないと、自分の意見を言ったとしても、受けて側は了解しにくいですよね。

受けて側が一生懸命解釈してあげないとわからない事を言うというのは、コミュニケーションとして、決して上手だとはいえないと思います。それこそ子どもとの会話みたいな感じがします。

ましてや、既に記事を書く側は、自分の意見を形にしているわけで、それに関連する記事を書くのであれば、どう関連しているかを説明されなければ、わけもわからずいきなり家に上がりこまれたような感じがすると思います。

他人の家に用があるとき、呼び鈴だけ押して、扉が開いたから押し入ったら、十分犯罪なわけで、用向きを「これこれこうです」というのが礼儀以前の当たり前な部分だと思います。(適当な例で無いかも知れません、すいません)

関連性を示さず自分の思うことだけを言って、解釈は相手任せ、なんていうのは、自分の用向きを伝えず、人の家に上がりこんで自分のしたいことをしている。(例えばお茶を飲むとかでもいいんですが。)
…というのと大差なく、どう考えてもおかしくないか、と思います。


すいません、生意気書いて。
ただ、こういうコメント欄の使い方について色々とお話くださっているひげたまさんのところに、こういう形でコメントされているのを見逃せなかったもので…。
by 山さん (2006-09-25 21:56) 

demian

>山さん

日の丸・君が代でも問われているように、内心の自由は、なん人であっても犯すことのできない基本的な人権です。また、言論の自由も同じくらい重要な権利です。

中国のように言論統制を行う国と違い、自由を尊ぶ国では、たとえ、国旗国歌を強制されようとも、それらに対して反対する権利を持ちえているのです。

たとえ、失礼と思われる書き込みがあったとしても、その書き込みを侵す権利は何人たりとも持ちえていないのです。それぐらい、言論の自由や内心の自由というものは尊いものなのです。それらを無視して、ただ、失礼という理由だけで、思想統制を行うような権利は誰にもありません。
by demian (2006-09-26 02:37) 

ひげたま

リアルの知り合いから、「最近のコメント欄、大丈夫なの?ヒートアップしてるみたいだけど」と心配されました。
確かにちょっとパキパキ書きすぎかも知れません。
うーむ。さじ加減が難しい。

しかも、今酔っ払っています。

> demianさん
確かに一般的に言って国旗国歌の話が政教分離の話とまったく関係ないというのは無理があるとは思います。
ただ、一般的にはそうであっても、私個人は国旗国歌に宗教色を感じていないこともあり、このコメント欄で政教分離の話をする気はありません。申し訳ありませんが、ご了承いただければと思います。

> 山さん
コメントをどう受け取るかは、その時の自分の気持ちに大きく影響されるのかも知れません。
意外かも知れませんが、私にはdemianさんのコメントはそれほど失礼には思えませんでした。(酒飲んでるからかも!?)
ただ、demianさんへのコメントで書いたように、ここで政教分離がどーのこーのという話をするつもりもありません。
不思議といえば不思議な考え方なのかもしれませんが、今はそんな気分です。
by ひげたま (2006-09-26 02:49) 

ひげたま

おっと、だらだらコメントを書いてアップしたら、 demianさんからレスが。

> demianさん
入れ違いになりました。
先のコメントと重複しますが、正直言って、私には国旗国歌=宗教という前提がピンと来ないので、それゆえ政教分離との関連について「どう思うか」と聞かれても、お答えすることができないのです。

ただ、demianさんがblogなりなんなりで、国旗国歌の宗教性や、政教分離について、さらに今回の判決との関係について記事を書かれることがありましたら、ぜひトラックバックしていただければと思います。
by ひげたま (2006-09-26 03:03) 

山さん

誤解があるような気がするので書いておきます。
私もdemianさんが失礼だと思っていませんよ?
私はファビョレさんとか火病さんのコメントの書き方が乱暴ではないかと思ってコメントしました。(言葉足らずだったと思います。すいません)
demianさんは前のお二方の考えを解説してくださったんだと思っています。

理由は以前書いた通りなので省略しますが、やはり、言論の自由はあっても円滑な人間関係を築くためにある程度の礼儀は必要だと思います。
お二方が「意見をいう」事を決して否定はしません。ただそこに礼儀などのつけたしがあるべきだと思うのです。でなければ、それを受け取る側に対して侵害が出てくるのではないでしょうか?

demianさんが解説されないと、前のお二方の意見をただ見ただけでは、どういう意見なのか私にはわかりませんでしたし、ひげたまさんも理解されにくかったようで、本来そういう管理者の方の発言があれば、説明するのは第三者でなくご本人がされたほうがより的確に説明できるとも思います。

ついでに言えば、言論の自由を守るには、「不断の努力」が必要なわけで、この自由を守る努力をするのは、やはりまず、発言されたご本人がすべきだと思うのです。(たびたび生意気いってすいません。)
by 山さん (2006-09-30 17:07) 

ひげたま

山さん、こんにちわ。
> 私もdemianさんが失礼だと思っていませんよ?
私の勘違いですね。すいませんでした。

コメント欄での議論(?)は、どうしてもお互いの揚げ足取りみたいな感じになってしまうので、正直あまり好きではありません。
「自分はこうおもうよ」程度のやりとりが好みではあります。

自分の持ち時間を使って、blogを書いたり、こうやってコメントをつけたりするわけですが、他人のblogにコメントをつけたりして思うのは、議論に熱中するあまり、ついつい「管理人の負担」に無自覚になることがある、という点ですね。

言論の自由うんぬんといえば聞こえはいいですし、まっこうから反対しづらいですが、blogも管理人があって成り立っている訳で、言論の自由だけを主張されると、ちょっとツライ気持ちにはなります。

もし自分の主義主張があるのであれば、ご自分が管理人となるblogを立ち上げておおいにやれば良いのではないか、そのほうが言論の自由は守れるのではないか、とも思います。
by ひげたま (2006-10-01 17:12) 

山さん

>ひげたまさん
…そうですね。
まとめてくださってありがとうございます。
こういうことを伝えたかったのですが、どうも申し訳ありません。
以後精進します…。(ああ、精進のしっぱなし…。涙)
by 山さん (2006-10-01 23:57) 

suzuran

どうしてもこの話に関しては疑問が残ります。
それは最高裁までいって都教委がやりすぎだった、という結論になったとして、ですが、、

それでは日本人の国家観はこのままでいいのだろうか?、、という疑問です。
私自身もまず国旗を持ってませんし、家庭で祭日に掲揚したこともありません。特に意識してませんがなんとなく国旗を掲揚すること自体が「右翼的行為」という意味合いを感じてしまう、傾向ってないでしょうか?
あの「靖国神社で奇声を張り上げている人たち」とダブってくるところがあるのですね、感覚的に。この件に関して親と何も話したことがありません、なのに、、、です。

この感覚はどこから来てるんでしょうか?自分自身分からないのです。
でも私達日本人国籍を持つ人達は全員、この国の住人として運命共同体のはず。
現実に世界は国別に動いている以上、国家の存在を無視する訳にはいかないはずだし、国旗、国歌も、皇室制度も付随してくるものですよね。
いざと言うとき、日本人同士の連帯感、一体感、がなくばらばらな気持ちでいたら、いつかは日本という国は消滅してしまうんじゃないだろうか、と心配になるのは変でしょうか?私はごく平凡な感覚ではないか、と思います。
by suzuran (2006-10-04 14:59) 

ひげたま

> suzuranさん
suzuranさんが国旗から右翼的行為を連想してしまうのがなぜかは、はっきりとは私には分かりませんが、そういう感覚を持っている人はいます。

たとえば、第二次世界大戦での軍国主義の象徴として国旗をとらえ、「国旗をありがたがる人たちは戦争を肯定しているのだ」と考える人は、国旗に戦争のイメージを重ね、戦争に反対するのと同じように国旗にも反対します。
また「日の丸は軍国主義の象徴だから嫌だけど、別のものなら良い」と考えている人もいますし、「他の国は国旗や国歌を大切にしている。国民としては国旗国歌を敬うのは当然の義務である」という人もいます。
さらにいえば、もっともっと細かく国旗国歌について考えて考えている人達もいますし、私の様に「国旗国歌にとりたてて賛成も反対もない」という人もいます。

suzuranさんが、「一体感がなくなったら日本という国はなくなってしまうのではないか」「何か日本人としてまとまるものが必要なのではないか」という気持ちも分からないではありません。
確かに一体感はとても力強いものだし、安心できるものでもあります。

私には、それに対して「一致団結の必要はないよ」ということはできません。
suzuranさんの心配が「そんなの心配しすぎだよ」ということもできません。
だって現にsuzuranさんは心配しているのですから。

ただ、suzuranさんが心配しているのと同じ様に、「国旗国歌を敬うという連帯感、一体感に安心する日本人」というものが私は心配なのです。
国旗国歌を敬い一致団結すれば問題が解決する、という考え方に危うさを感じるのです。
それは、「何かを考えなくなることなのではないか」と思うのです。

今の自分ではこれ以上のことはいえません。
出し惜しみではなくて、まだよく分からないのです。
ただ、今、考えることを放棄してはいけないと思っていて、それだけを私は心配しています。

うまくまとめられませんけど、少しでも分かっていただけますか?
by ひげたま (2006-10-05 00:15) 

suzuran

URLの出し方がわからなくて、、、すみません。

ひげたまさんは私の感覚は全体の一部、という捉え方をなさってましたが、
私は正直言ってごく全体的な感じ方ではないか、と思っていました。
なぜなら、地域によってばらつきはあるでしょうけど、祭日に国旗を揚げている日本人が現在どれほどいるのか、データがないので分からないですけど、
かなり少ないんじゃないか、と思います。現に近所でもほとんど見たことがないくらいです。

これはなぜか。

私には戦後のGHQ政策が実った結果ではないか、と推測しています。
戦前の日本は、彼らから見れば「異常な」ほど強烈な結束力があり、非常に「恐れおののいていた」のではないか。その根源を「天皇と靖国神社」と見て解体しようとした。しかし天皇の利用価値の高さから象徴天皇にして存続させ、靖国神社は政教分離、という憲法で一宗教法人、とした。私には靖国神社は宗教というより宗教的施設ではないかと思うのでこの分離の仕方には無理がある、と思ってます。

拉致問題が知られる前の日本人は、日本人としての認識、連帯感が完全に分解状態に入っていたのではないか。知ってからの日本人はようやく現実に目を向けるようになってきた、のではないか、と思ってます。

ひげたまさんは「不安になる気持ちも少しは分かるけど、逆に連帯感に甘えて安心しきって考えなくなる人達が心配」とおっしゃいましたね。

そういう考え方も理解できますが、今の日本人にはまだ時期尚早ではないでしょうか。なにしろ日の丸、君が代を受け入れたくない反対派が公教育の場に大勢いて裁判までしている、、、現状なのですから。

一国家として、とても正常な状態とはいえない。

国家の結束力が減退した時は国際的発言力が減退している時、と言えるのではないでしょうか。北朝鮮はもとより、韓国、中国、に加えて最近ではロシアまで怪しげな振る舞いになってきて、挙句には米軍移転にともなう費用分担で途方もない金額を要求されていましたよね。

これら諸国家の態度の変化は日本の結束力の減退と正比例してないでしょうか?
by suzuran (2006-10-05 14:02) 

ひげたま

> suzuranさん
国旗国歌を敬わない国民の国家観、とても正常な状態とはいえない国家観、ひいてはそれが諸国家の怪しげな振る舞いに繋がっている。

suzuranさんとしては、日本国国民が国旗国歌を敬い、結束力を高めることで、その怪しげな振る舞いを止める、もしくは押さえることができるのではないか、日本としての安全を保つことが出来るのではないか、そういう考えてらっしゃるということでしょうか?

たとえば、具体的にはアメリカがsuzuranさんの考えている国家のイメージに近いのでしょうか?
それとも別に適切な国があるのでしょうか?

日本国がどうあるべきか、正常な国家とはどういうものか、suzuranさんがどうお考えなのか、ちょっと良くわからなかったので質問させていただければと思います。
by ひげたま (2006-10-05 22:50) 

suzuran

私に考えられる正常な国家とは・・・煎じ詰めれば「国旗、国歌に敬愛の念を持ち、誇れる国民が多数派として存在している国」ということでしょうか。

>国旗国歌を敬い一致団結すれば問題が解決する、という考え方に危うさを感じるのです。

この表現は短絡的な感じがします。逆に例えれば
「国旗国歌を憎悪し分裂すれば問題が解決する、という考え方に危うさを感じるのです」という言い方になるでしょうか。

>国旗国歌を敬わない国民の国家観、

この箇所も「敬わない」ではなく
「国旗国歌を憎悪・嫌悪し蔑視する国民の国家観」が正解だと思います。
このことを憂えなくてどうしましょう。


私は石原氏達の「人権意識」に不安を感じる反面、反対派達の「危機意識の希薄さ」に不安を感じます。

>suzuranさんとしては、日本国国民が国旗国歌を敬い、結束力を高めることで、その怪しげな振る舞いを止める、もしくは押さえることができるのではないか、日本としての安全を保つことが出来るのではないか、そういう考えてらっしゃるということでしょうか?

どうしても先に「敬う」がくるんですか。
敬う、、前に自然に沸き起こってくる感情・・・愛着、親愛の念、・・があるのが
普通の状態ではないかと思うのですが。

祖国、故郷への親愛の情は愛国心と同義語ではないでしょうか。
これがある限り「祖国を大切にしたい」という「敬愛」になってくるのでは。
それが日本では一度の侵略という過ちを犯してしまったから、もうこんな国は
どうとでもなってしまえばいい、国旗国歌なんぞどうでもいい、とかそういう捨て鉢な気持ちになっているんでしょうか。かつてのユダヤ人のように祖国を失い、世界を流浪する民族になってもいい、と考えている人もいるのでしょうか。

私の国旗・国歌への考え方を以下にコピーしておきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

>私は日の丸・君が代とは、過去の戦争を頭に描きながら向き合うことにしています。ナチスのせいにして現在の国民は関係ないという態度より誠実だと思います。日の丸・君が代は日本が軍国主義になる前に作られたものです。この素晴らしいものを軍国主義が使ったから止めるのは、軍国主義に取られたような気がするのです。私はこれを我々の手に戻すこと、平和と友好のシンボルに変えていくことが我々の責務ではないかと思います。

私もまさにこの意見に賛成です。
以前から「自分達が悪いことをしてしまってその時使っていた旗を負けた後もずっと使い続けるなんて恥ずかしい、みっともない」から厭だ、だから新しい旗がいい!、、という解釈も出来るんじゃないか、、、と思ってました。それこそ我がままとも言える。(追加:あのおぞましい過去を持った国旗は見たくない、なども)
国旗を見るたびに「どうしてあんなことをしてしまったのだろう?」と深く自問自答する機会にすればいい、と思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最後に朝日声欄の投稿文を紹介しておきます。
タイトル「清志郎の国歌、身近に感じた」茨城県ひたちなか市、33歳

「天皇を象徴とする日本の平和を願うという歌詞の意味などを最初に教えられたのは小学生の頃だった。“歌わされる”国歌に愛着をもてずにいた5年ほど前、聞いたことのない国歌を耳にした。
忌野清志郎さんの歌うパンクロック風君が代だった。CDが発売禁止となったニュースでテレビが取り上げていた。心地よい高揚感、じわじわと体に染みていくようなリズム。どこか遠い存在に思えていた歌詞が、初めて身近に感じられた。当時仕事のことで迷っていた。そうした次期に全く新鮮な印象を受けた為か、歌詞も“君の努力が報われて明るい未来が続くよう、君の功績が皆の心の光となるよう、頑張れ、頑張れ”といった意味のように私の心に響いた。今年は五輪で国歌を聞く機会も多かった。そのたびに祝福の歌、祝いの歌のようにも聞こえた。戦前は天皇の世をたたえる意味だったのかもしれないが今の私達には別の捉え方があってもよいのではないか」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私自身も彼と全く同じ感想をもった体験がありました。それは小雪の君が代をオリンピックか何かの開会式で歌っていたのですが、感動!!!しました。
君が代にはもしかして人類共通の「生への賛歌」がこめられているのではないか、と思います。長い歴史の一部分で泥をぬられてしまったけど、本来はすばらしい名曲ではないか、と思ってます。むしろ日本が世界に誇れる国歌だとさえ思います。嫌いだ、と思っている人達に古いこだわりや先入観を捨てて、素直な気持ちになって聞いてみることをお勧めします。
by suzuran (2006-10-07 10:06) 

ひげたま

> suzuranさん
blogの方の記事、読ませていただきました。

せっかくこうして知り合えたのですから、もうちょっと前提の話をした方がよいのかなと思いましたので、その方向でコメントを書きつつ国旗国歌の話もできればと思います。

suzuranさんの記事に「もうちょっときちんとみんなしゃべった方がよい議論した方がよい」という内容の記事がありました。

まず、私は率直にいって議論は難しいと感じています。
以前、
【議論をすることは良いことですか?】
http://blog.so-net.ne.jp/higetama/2006-09-03
という記事も書きました。

もちろん「議論はくだらない意味がない」ということを言いたい訳ではありませんし、できるなら議論して何かを得たい。
でも、どうすれば建設的な議論ができるのか、私にはよくわからないのです。

suzuranさんも私を論破したい訳ではないと思いますし、もちろん私もそうです。

そうなると、お互いに言いたいことをいって「いろんな考え方があるよね」ぐらいで済ますのがよいのか(これでも十分意味はあると思います)、最終的にどちらかの意見に寄せるのがよいのか。
具体的に自分が直面していて自分が解決しなければいけない問題であれば「色々な意見を聞いた上で自分の責任で決める」となると思うのですが、国旗国歌の話になるとブレが出てくると思います。(「ブレが出てくる」という前提自体suzuranさんは否定されるかもしれません)

たとえば、今回の件に関して、
> 「国旗国歌を憎悪・嫌悪し蔑視する国民の国家観」が正解だと思います。
という点について、私は教師がそういうことを意図していると思っていないのですが、suzuranさんはこれこそが正解だと思っている。

これを解釈の違いと言うのか、それともどちらかの考えが足らないからと言うのかで、議論の方向は全然変わってしまうと思うのです。
もしここでsuzuranさんが「それはあなたの考えが足りないからだ」ということになってしまったり、逆に私が「suzuranさんの考えが足りないからだ」ということになってしまえば、議論は収拾が付かず、不毛な話、それこそ「朝まで生テレビ」みたいになると思います。

もちろん私の考えが足りないことは山ほどあって、それは死ぬまで埋まらないわけですが、その足りない中でも自分が今いえると思うことはキチンと言おうと思っていますし、分からないことは分からないと言おうと思っています。

どうでしょう、suzuranさん。

コメント欄で議論するよりお互いblogを持っているわけですから、時折気になった記事に感想程度のコメントをつけたり、対になる記事を書いた場合はそれをトラックバックしたりする方が、建設的ではないでしょうか?

ご意見お待ちします。
by ひげたま (2006-10-07 20:53) 

suzuran

建設的な議論はむずかしいのでは、、とのご意見承りました。
私自身は様々な紆余曲折しながらも、反対意見同士の議論でも建設的に進めることは可能だし、普段議論しないのが常態の日本ではこうした開かれた自由な場での公開討論は是非必要であり有意義だ、それなりの成果もあると思っています、、、ので残念です。
by suzuran (2006-10-09 15:08) 

ひげたま

> suzuranさん
中途半端に受け答えする形になってしまい、本当に申し訳なく思っています。ごめんなさい。
suzuranさんのおっしゃる「議論の必要性や意義」についてはまったく同感ですし、私も自由な議論ができるようになりたいと思っています。
ただ、なぜかははっきりしていませんが、現実として今の私にはネット上で議論はできないようです。

今、ひとつ言えることで、私が一番恐れていることは、「お互いの多くあるであろう共通点」ではなく、「お互いにある少しだけの差異」を強調する結果になる、ひいては対立を生むだけに終わるということです。

これはネットではとても顕著に現れていると思います。

面と向かって話せば共通点は自然に了解され過剰に差異だけを増幅するようなことにはならないのに、ネット上ではお互いが差異しかないような形で議論がなされ、どんどん対立が激化する、そんな風に感じています。

私はそれだけはどうしても嫌なのです。
分かり合う為にする議論のハズが、分かり合わない為の議論になってしまう。それだけは嫌なのです。

そして、今の私では、そういう「分かり合わないための議論」になってしまうだろうという悲しい確信があるので、こういった提案になりました。

今回はsuzuranさんにとても失礼な形で終わってしまい、本当にすいませんでした。
by ひげたま (2006-10-09 15:38) 

suzuran

>今回はsuzuranさんにとても失礼な形で終わってしまい、本当にすいませんでした。

いいえ、私の方こそ知識も能力も不足していることを承知しながらの体当たりにお相手くださったことに感謝です。

>私は誰かを打ち負かしたいのではなく、自分を意見をきちんと聞いて欲しいし、相手の意見をきちんと聞きたいのです。

私もそのつもりだったのですが、きちんと理解できていたかどうかは疑問です。

>そして、今の私では、そういう「分かり合わないための議論」になってしまうだろうという悲しい確信があるので、こういった提案になりました。

できれば私の示した内容に率直な受け答えが欲しかったです。
でないと貴方の「悲しい確信」が何を指すのか分からないまま終わってしまいます、お気にさわったらごめんなさい。

>せっかくこうして知り合えたのですから、もうちょっと前提の話をした方がよいのかなと思いましたので、その方向でコメントを書きつつ国旗国歌の話もできればと思います。

同意します。
by suzuran (2006-10-10 12:28) 

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