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戦争体験の温度差(「戦争で死ぬ、ということ」補足) [それでもどっこい生きてます]

「戦争で死ぬ、ということ」の中で、実際に本土が空襲されるまで戦争をしている実感がなかった、新聞などの情報を見てもどこか他人事だった、という話が出てきます。
とても率直な感想に思いますし、そりゃそうだとも思います。

そういう人たちにとっては「空襲」が戦争体験であり、それ以外の戦争体験はない。

【8月20日の日記】に、なぜ人を殺されたことは語られて、人を殺したことは語られないのかについて書きましたが、実はそんな小難しい話じゃなくて、単に戦争中でも日本にいた人、特に多くの女性は人なんて殺していないのですよね。
そんな当たり前のことに、まったく気が付きませんでした。

戦争中であっても身近に危険が迫らない限り、戦争の実感はわかない。

自分が戦争を止める為には自分で何か行動することが必要で、もし他人の扇動にのせられないとするならば、行動する為には自分の中に何か動機がなければ動けない。
自分の身に危険が迫るまで戦争の実感が期待できないのであれば、その実感のないもの、無視可能なものを、何らかの形で自分の身にひきつけて行動の動機とすることになる。

その方法とは、想像力なのか知性なのか、それとも全然別なものなのか。

分からない。分からない。分からない。


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スー

わからないことに気づくのが知性だと思います。
わからないから、永遠に模索するのです。
わかったつもりになるのが、一番怖いことなのでは。
by スー (2006-08-30 16:24) 

ひげたま

もし分からないことが知性だとするなら、分からなくても一歩を踏み出す、何かを始めるということが勇気なのかも知れません。

んで、分かったつもりになるということは、勇気を失うことなのかも知れません。

スーさんのコメントで、そんなことを思いました。
by ひげたま (2006-08-30 22:36) 

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