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レバノン/イスラエル停戦を願うキャンドル・アクション(アムネスティ) [それでもどっこい生きてます]

つい先日、レバノンとイスラエルに停戦を呼びかけるメールを【アムネスティ】から勢いにまかせて送ってみたんですが、勢いついでにメーリングリストにも入りました。

んで、そのメーリングリストで、今日、芝公園の増上寺(【今年桜を見に行った場所です】)で停戦維持を求めるキャンドル・アクションをやるので来ませんか?という呼びかけがありました。

街頭募金すら偽善っぽくてやらないので、行くまでにかなりためらいがありましたが、えいやっ!と行ってみたのでした。
どんな人たちが、どんな風に、何をやっているのか、興味があったのです。

本堂前の階段にならんだキャンドル。(携帯カメラなので画質は悪いです)


増上寺の後ろには東京タワーが見えます。

私が勝手に想像して心配していた、変な勧誘とか、平和原理主義的な雰囲気とか、募金の強制とかは一切なく(手間賃のカンパはしましたけど)、淡々とレバノンやイスラエルの現状に対する話やスライドの上映があり、最後には上の写真にあるようにキャンドルを並べて、黙祷し、最後にちょっとだけまた話があって、合計1時間ほどで解散となりました。
参加人数は50人前後かなぁ。若い人も年配の方も子供づれもカップルも色々な人がいました。

アムネスティの人が話していた、「イラク戦争の後に、レバノンへの攻撃があって、無力感に負けそうになり、ちょっとの間、何をして良いか分からなくなった」という話が印象的でした。
とても率直な感想だと思います。うむむ。

しかし、こういう催しに行くってことが、なんとなく恥ずかしかったり、人には言えない感じがあったりするのは、なんなんでしょうね?

「そんなことしても無駄じゃない?」という一言に反論できないからでしょうか?
つまり、ばかげた行いだから、人には言えない、ということでしょうか?

参加してみて一つ思ったのは、仮に自分からみてばかげたことをやっている人たちがいても、それを非難する理由はまったくない、ということです。
というか、無駄でばかげたことだと思っているのであれば勝手にやらせておいても自分にはまったく影響がなく、かつそれ自体効果がないと思っている訳ですから、なおさら非難をする必要はまったくないし、逆に非難するだけ労力の無駄です。
(誤解されると嫌なので付け加えると、私はアムネスティの方々がやっていることがばかげたことだと言いたい訳ではありません)

でもなぜか、こういう行いは時に非難され陰口を叩かれたりします。不思議です。

私は今回の参加で、何も嫌な思いをしなかったし、実際に現地に行った人の話も聞けたし、割合に有意義だと感じたので、次に何かあるとき暇であれば、また出向いてみようと思います。

本。(明らかに買いすぎだ・・・)

なぜ人を殺してはいけないのか?

なぜ人を殺してはいけないのか?

  • 作者: 永井 均, 小泉 義之
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1998/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


病いの哲学

病いの哲学

  • 作者: 小泉 義之
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2006/04
  • メディア: 新書


「「負け組」の哲学」の著者、小泉義之の本を追加~。

戦争で死ぬ、ということ

戦争で死ぬ、ということ

  • 作者: 島本 慈子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2006/07
  • メディア: 新書


「はじめに」で、「アドルフに告ぐ」を取り上げていたのと、戦後生まれの自分の感性を頼りに書いている、という帯のセリフに惹かれました。さて中身はどうでしょうか。


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