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只今8/20 1:45、NHKスペシャル再放送中(もう終わりました) [それでもどっこい生きてます]

NHKスペシャル[再] 「日中は歴史にどう向き合えばいいのか」

をやってます。2:35マデ。

中国と日本の戦後の外交の話です。

Yahooの番組欄の説明だと、
・戦後61年の交渉と対立
・日中の外交当事者に徹底取材・両国の溝はこうして生じた
・周恩来と角栄の攻防
・戦争責任と靖国
ということ。

かなり興味深いので、よかったらどうぞ。

~~以下、2:30追記~~

「人を殺した記憶は語られない」、「人を殺された記憶は語られ続ける」。

国がどーのとかの話は別として、実際に戦争時期を生きて、殺し殺される体験をした人が何を語るかは、こういう感じになるのではないでしょうか。
小説家などの様に表現に命をかけてるのでもなければ、人を殺した経験なんて語らないでしょう。
だから、日本国民が語るのは原爆や空襲などの「殺された」話で、中国国民が語るのは、南京大虐殺やら侵略の歴史などの「殺された」話になってしまう。
それは、おじいちゃんおばあちゃんから聞く話としては、ひとまずしょうがないと思うのです。

でも、いそいで付け加える必要があるのは、だからこそ事実として日本国民がたくさんの人を戦争中に殺したことを知る必要があるんだと思うのです。

語られないことを増やしてはいけない。
歴史の空白を作ってはいけない。

それは倫理的なものではなくて、トラウマになることへの防止に近いものです。

小さいころに受けた嫌な事実があり、でも、とりあえずはそれを忘れてしまうことで生きながらえてきたとしても、結局大人になってそれが何か自分ではコントロールできないことを生んでしまう。
それは、嫌なことがあったその事実が問題なのではなくて、その記憶を忘れたことにした語られないものにした、そのことが原因です。

だから、今、これからを生きる為に語られないことを増やしてはいけないと強く思うのです。


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benotami

大和の映画などにしろ、集中攻撃を受けて「殺された」という構図ですよね。
もしかして特攻がよく語られるのは、攻撃にも関わらず「殺される」行為だからなのでしょうか。
by benotami (2006-08-20 09:03) 

ひげたま

特攻は確かに殺し殺されることが同時に起こりますし、自己犠牲という意味でもその死は最大限に尊いもの、残ったものにとってありがたいものにはなりますね。
内面的な動機はどうあれ、結果的には殺したことは隠され、殺されたことが表に出てくる形になっていると思います。

イスラエルなどで起こっている自爆テロは、遠い国、遠い場所、ぶっちゃけいえば係わり合いのない(ということもできる)人々で起こっているから、両方の立場を「ふんふん」と聞けて、「殺して殺されてるなぁ」と思えますが、身近に起こっていれば殺していることは脇においやられ、「殺されてる!」としか、認識できないのじゃないかと思います。

で、本文にも書きましたが、それは個人的な出来事のレベルでは「ひとまずはしょうがないこと」だと思っています。
もちろん、実際に自分がその場に居合わせ、人が殺されているのを見ながら、「あー、殺されているのは自分たちがあの人たちを殺している結果だなぁ。報復の連鎖だなぁ」なんて考えられないと思います。

でも、私達がそうやって「殺したこと記憶を忘れたい」心理を抱えていることは、それを平和ボケと呼ぶ人がいたとしても、平和ボケの状態でしかこういった思考ができないのであれば、なおさら常に意識する必要があると思うのです。
by ひげたま (2006-08-20 13:00) 

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