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「『資本論』も読む」宮沢章夫 [それでもどっこい生きてます]

資本論は難しい本で有名です。
昔読んだ小田実のエッセイで、「資本論は睡眠薬代わりに良いから枕元においてある」なんて意味のことが書いてありました。小田実も読めない本。もちろん私も読んだことはないです。

んで、この本は、難しい資本論を読むことに格闘している筆者の姿をつづった本です。
つらいつらい、むずかしいむずかしい、マルクスは手加減というものを知らんのか、という感じで「資本論の読み」は進んでいくのですが、途中から資本論を読む、というよりは、マルクスを味わう、つまりあの時代に彼が何を考え何を表現したかったのか、どうして資本論を書くことにしたのか、その息遣い、批判精神、活動家としての思い、そんなこと自体を受け取る読み方に変わってきます。
それは1867年に資本論を書いたマルクスと、2005年に資本論を読む宮沢章夫の出会いです。

本の中でもたびたび触れていますが、今なぜ宮沢章夫はマルクスを読むのか。

「第二十八回 四十年間も考えていた人」で、宮沢章夫は、
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この尋常ではない狂人とすら感じさせるエネルギーがどこから生まれたのか。しかも極貧のなかで家族すら死なせているマルクスの『資本論』に向けた情熱をどう理解したらいいかは社会主義国の崩壊を目の当たりにした時代になってしまえば、「あれは徒労だったのか」と疑問に思うのもいたしかたないばかりか、「ごくろうさんでした」とせせら笑う者の姿も想像できて、こうして読み続ける私もまた、なぜ読むのか人からいぶかられるのも承知しているつもりだけれど、やはり問題は「四十年間も考えていた人のことをどうやって理解すればいいのか」という一点であって、マルクスの思想が歴史的にどう結論づけられたか、いやまだ結論は出ていないに決まっているが、とにかく「四十年間も考えていた人」を念頭においてこそ、『資本論』は読まねばいけないと私は考える。
~~
と書きます。

この部分はちょっと堅苦しい感じの文章になってますが、劇作家・演出家である彼の文体は全般的にライトで奥深く楽しいです。
気を抜くと「資本論の解説」をしだしてしまいそうな自分をたしなめながら、あくまで読むということに集中しようとする姿もまた良し。

最後のほうで、絓秀実の『「革命的な、あまりに革命的な」』や、井上紀州の映画『LEFT ALONE』と絡めて、自分と資本論の今を考えるのもまた刺激的でした。

自分の日記を検索したら宮沢章夫の本は2冊目でした。1冊目は「茫然とする技術」。


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